1860年代のトルコ・ギリシャ 西洋化を進めるオスマン帝国
1860年代、日本では、江戸時代が終わり明治時代に入った。日本は列強に追いつくため、さらに西洋化政策を進めた。一方、オスマン帝国も日本同様に西洋化政策を進めた。その中で台頭してきたいのが、日本では伊藤博文であり、オスマン帝国ではミドハトであった。
前回の復習 露土戦争
前回は、クリミア戦争のリベンジマッチである露土戦争を見ていきました。ビスマルク外交で安定したロシアがオスマン帝国へ侵攻した戦争である。この戦争によりバルカン半島の大部分が独立した。
タンジマートとミドハトの出世
60年代のオスマン帝国は、クリミア戦争と露土戦争の戦間期に当たる。
50年代のクリミア戦争後、オスマン帝国はイギリスやフランスへの依存度が急激に高まった。50年代には、「改革の勅令」をだし、非ムスリムの権利が拡大した。オスマン帝国は、さらに西欧化政策(タンジマート)を進めた。イスラム法と西洋近代法を合わせた法制度の整備、学校制度の整備である。日本の明治維新に近い政策が行われた。このような中で台頭してきたのがミドハトである。
そして彼は、70年代ミドハト憲法を完成させる。
この頃の日本は
当時のイギリスは