おはようございます。sekaishiotakuです。昨日に引き続き、センター試験の過去問にチャレンジしてみたいと思います。
問4
下線部④(百済)に関連して、朝鮮半島の歴史について述べた文として正しいものを選べ、
この1問で、朝鮮半島の歴史がほぼ網羅できています。
① 高句麗・新羅・百済が並び立った時代は、三国時代と呼ばれる。
〇 → よく、高句麗を高麗に入れ替えて出すので要注意
三国時代は、中国の魏晋南北朝時代(3C~7C)のころ。
それまで、朝鮮半島は漢王朝の支配下に入っていた。
漢王朝の衰退とともに独立
7世紀、唐王朝と同盟を結んだ新羅が朝鮮半島を統一する。
② 高麗は、大祚栄によって建国された。
× → 高麗は、王建によって建国された。
10世紀、唐王朝の衰退とともに、新羅も衰退。
高麗は、王建によって建国された。
高麗は、宋王朝、元王朝の時代の朝鮮半島の国。
14世紀末、元王朝(モンゴル政権)の衰退とともに滅亡する。
ちなみに、大祚栄は、7世紀末に中国東北部に渤海を建国した。渤海は、唐王朝、新羅と同じ時代に当たる。
③ 大院君は、欧米諸国の開国を受けた。
× → 大院君は、欧米諸国の開国要求を拒否した。
高麗の後、李氏朝鮮が成立する。中国の明王朝、清王朝の時代にあたる。
大院君は、李氏朝鮮末期の国王。大院君が欧米諸国の開国要求を拒否したことで、明治新政府は江華島事件を起こし日韓修好条規につながる。
李氏朝鮮は、日清、日露戦争後に日本に併合された。太平洋戦争で日本が敗北すると韓国と北朝鮮が誕生した。
④ 李承晩政権は、日韓基本条約を締結した。
× → 朴正煕政権は、日韓基本条約を締結した。
李承晩は、50年代、朝鮮戦争時の初代韓国大統領である。日本はサンフランシスコ講和条約締結したばかりで、アメリカ抜きの条約を結ぶ余力はなかった。
日韓基本条約が締結されたのは、60年代の高度成長期のころ。韓国大統領は親日派の朴正煕である。
問5
下線部⑤(1971年)に関して冷戦期について述べた文章を古い順に並び替えよ
a チェルノブイリ原子力発電所で事故が発生した。
80年代 (ゴルバチョフ書記長時代)→ ソ連崩壊のきっかけとなる事故
b 日中平和友好条約が締結された。
70年代(ブレジネフ書記長時代)→ 中ソ対立で、米中関係が著しく改善。
c キューバ危機が発生した。
60年代(フルシチョフ書記長時代)→スターリン批判で米ソ関係が良好な時代
正解は、c→b →a
問6
下線部⑥(考古学的発見)に関連して、遺跡や遺物の発見について述べた次の文について正誤を判定せよ
a スペインのラスコーで洞穴絵画が発見された。
→ × フランスのラスコーで洞穴絵画が発見された。
スペインの洞穴絵画は、アルタミラ
→ 〇
C 問7
下線部⑦(ポーランド)の歴史について述べた文として、正しいものを一つ選べ
① コペルニクスが天動説を唱えた。
× → コペルニクスが地動説を唱えた。
コペルニクスは、16世紀前半のポーランドの科学者
現代では、常識な地動説をとなえ、天動説で考える教会の世界観に挑戦した。
② コシューシコは、パリ=コミューンに参加した。
コシューシコは、1770年代のアメリカ独立戦争に参加。この刺激をうけて、1790年代のフランス革命の裏でおこなわれたポーランド分割に抵抗した。
パリ=コミューンは、ナポレオン3世が退位したころにできた労働者政権。1870年代の出来事である。
③ 冷戦期にビウスツキが政権を握った
× → 戦間期にビウスツキは政権を握った。
ビウスツキは、ロシア革命期にロシアからポーランドを独立させた。
④ スターリン批判をきっかけに、ボスナニで暴動が発生した。
〇
問8
下線部⑧(第二次世界大戦)に関連して、歴史的建造物について述べた次の文章の空欄を埋めよ
アウシュヴィッツ強制収容所は、(ホロコースト)とユダヤ人虐殺の舞台となった。ナチス=ドイツの指導者らは、それらの責任を問われ、戦後に(ニュルンベルク)で開かれた国際軍事裁判で裁かれた。
問9
下線部⑨(ロシア)に関連して、ロシアやソ連の君主・指導者について述べた文として誤っているものを選べ
① イヴァン3世は、ツァーリ(皇帝)の称号を用いた。
〇 → イヴァン3世は、15世紀のモスクワ大公国の王。ビザンツ最後の皇帝の姪ソフィアと結婚して、ビザンツ皇帝の地位を引き継ぎ、ツァーリを用いた。
正式ツァーリを名乗り始めたのは、イヴァン4世である。
一国社会主義論は、1920年代のレーニンの後継者争いの時に発生したイデオロギー論争である。これにより、スターリンは世界革命をトロツキーらを追放した。
〇 → ゴルバチョフは、ペレストロイカ(市場経済化)とグラスノスチ(情報公開)を進めた。
④ ケレンスキーが臨時政府を率いた。
〇 → 1910年代のロシア革命時の出来事。二月革命でケレンスキーが臨時政府を建てた。しかし、その後のレーニンらの十月革命でケレンスキーの臨時政府は倒れた。