紀元前2世紀、中国では漢王朝(前漢)の時代で武帝の最盛期を迎えていた。イラン(ペルシア)では、パルティアの全盛期である。
この頃のインドは、古代インドの四王朝時代。最初の王朝、マウリア朝が滅亡したのがこの時代である。
前回までの復習 サータヴァーハナ朝とクシャーナ朝
現在、古代インド4王朝(紀元前4世紀から7世紀)の歴史を見ている。紀元前1世紀に南インドにサータヴァーハナ朝、1世紀にインド北東部(インダス川流域)にクシャーナ朝が成立した。2世紀に、漢王朝とローマ帝国が全盛期を迎えると、この2つの国は大いに発展した。
今回は、クシャーナ朝の前の王朝マウリア朝の滅亡とクシャーナ朝の前身である大月氏を見ていく。
インド最初の統一王朝マウリア朝が滅亡
マウリア朝は、インド北東部ベンガル州を中心に全インドを統一した王朝である。紀元前3世紀末、アショーカ王が退位すると後継者が定まらず衰退していった。
これにより、インドは分裂状態になった。そのような中、異民族の侵入も相次いだ。
ギリシャ人国家バクトリア
バクトリアは、紀元前4世紀のアレキサンダー大王の東方遠征の際に中央アジアに移住したギリシア人が建国した中央アジアの国。イラン(ペルシア)のセレウコス朝シリアに服従していたが、紀元前3世紀に独立。
紀元前2世紀、マウリア朝が衰退すると、バクトリアはパキスタン北部のガンダーラ地方へ進出した。これにより、ガンダーラ地方にヘレニズム文化が伝わった。ヘレニズム文化とインド古来の仏教文化が融合し、ガンダーラ美術に結び付いた。
しかし、紀元前2世紀後半に入るとバクトリアの支配下にあった中央アジアの遊牧騎馬民族スキタイ族(トハラ)が独立。バクトリアは滅亡した。スキタイ族は、最初に遊牧国家を建設した民族である。紀元前7世紀に建国していた。金の加工や動物の装飾で有名なスキタイ文化を形成した。
クシャーナ朝の前身大月氏
大月氏は、イラン(ペルシア)系の遊牧民族である。紀元前3世紀までは、黄河の上流部を拠点として
しかし、紀元前3世紀末、中国の北(モンゴル)に有力な騎馬民族が登場した。匈奴である。この有力騎馬民族を率いたのは冒頓単于である。成立したばかりの漢王朝に侵入。漢王朝は、匈奴と和睦。王家の娘を冒頓単于の妻に差し出し、毎年貢物を送った。
この匈奴の登場は、大月氏にも影響を与えた。大月氏は匈奴によって中国は追われ中央アジアへ進出した。2世紀に入ると、バクトリア(ギリシア系民族)やスキタイ族(トハラ)を支配した。このころ、漢王朝の武帝の使者、張騫(ちょうけん)が訪れた。
サカ族
サカ族は、イラン系遊牧民族である。紀元前5世紀のギリシャ人の歴史家ヘロドトスは、サカ族はスキタイの一派と記している。
サカ族は、もともと中央アジア(西トルキスタン)で生活していた。紀元前2世紀前半、大月氏が中央アジアへ進出するとイランへ追いやられた。その後、パルティアが成立すると、イランも追われインドへ侵入した。ギリシャ系民族を一掃し、インダス川上流域(ガンダーラ、パンジャーブ)にサカ朝を建てた。
1世紀にクシャーナ朝が成立すると、クシャーナ朝の支配を受けた。3世紀にクシャーナ朝が衰退すると再び独立。4世紀グプタ朝によって滅亡した。
張騫を派遣した漢王朝は
このころのイラン(ペルシア)は
ローマ帝国の状況は