紀元前2世紀、東西に2大帝国が成立した。漢王朝と共和制ローマである。
共和政ローマは、北アフリカのフェニキア人やギリシア人を支配した。
一方で、領土の拡大とともに、格差が拡大が進む。格差是正にいそしむグラッスス兄弟と元老院が対立。平民と貴族の対立が拡大した。
紀元前2世紀初頭の共和制ローマ
ローマは、北アフリカのフェニキア人とギリシアのマケドニアの交戦状態にあった。
共和政ローマの拡大と格差社会
00年 共和政ローマ、ギリシア(マケドニア)へ侵攻(第2次マケドニア戦争
アカイア同盟(アテネ)の援軍要請。
96年 共和制ローマ、ギリシア(マケドニア)に勝利
統治は、アカイア同盟に任せる。
ラティフンディアって何?
92年 穀倉地帯シチリア島でラティフンディアが始まる。
奴隷を利用した大規模農園事業
奴隷 → フェニキア人やギリシア人などの戦争捕虜
土地 → 貧困農民が土地を買い取る。
シチリア島の獲得により、穀物価格が暴落
また、相次ぐ戦争で土地が荒廃
これにより、貧困農民が続出した。
土地を売却した貧困農民は
貧困農民でも、ローマの参政権を持っていた。有力者は自らの支持を得るため、「パンとサーカス(見世物)」を提供した。
また、彼らはかつての重装歩兵であった。没落農民の増加は共和政ローマの軍事力低下を招いた。これをカバーしたのが有力者の傭兵集団であった。
マケドニアは滅亡
ギリシア(マケドニア)はローマの属州となる。
55年 ペルシア、セレウコス朝シリアからバクトリアが独立
49年 第3次ポエニ戦争
48年 ペルシア、セレウコス朝シリアからパルティアが独立
属州の統治
46年 第3次ポエニ戦争に勝利
北アフリカのフェニキア人(カルタゴ)は滅亡
マケドニア、カルタゴ(フェニキア人)に対する勝利によって北アフリカやギリシアなどを支配するようになる。これらのエリアは属州とよばれ、総督が派遣された。総督は、貴族が就任。一方、騎士(平民)が徴税請負人として追随。
これにより、徴税請負人は本来税金よりも多くの金額を徴収これより、富裕層になる平民が登場した。彼らは騎士と呼ばれた。彼らはこの途に身によって傭兵を雇った。
グラッスス兄弟の改革、平民派(騎士) VS 元老院(貴族)
35年 シチリアの奴隷反乱
33年 スペインを占領
33年 クラッスス兄弟の改革
平民のための政治
無産市民の増加による共和政ローマの軍事力の低下
格差是正のため、ラティフンディアを制限
元老院と対立
平民派のマリウスと門閥派のスラの対立へ
次回予告
「紀元前3世紀のフランス 共和政ローマ イタリア半島統一とハンニバル」
このころの中国は