10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

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7世紀のインド ヴァルダナ朝 三蔵法師がインドで学ぶ

 7世紀、日本は飛鳥時代聖徳太子法隆寺を建立したころである。

 このころ、仏教のふるさとインドではヴァルダナ朝であった。ヴァルダナ朝には全盛期の唐王朝(中国)から多く僧侶が留学してきていた。今回から、古代インドの4王朝をみていきます。

 

 

前回までの復習

 インドは12世紀まで、ラージプート時代と呼ばれる戦乱期であった。今回から、戦乱期以前の古代インド四王朝を見ていきます。

ヴァルダナ朝の成立

 7世紀、ヴァルダナ朝が成立した。建国者はハルシャ王である。ヴァルダナ朝は仏教を通じて国を治めようとした。グプタ朝同様ナーランダー僧院を保護した。ただ、このころのインドは大部分の人がヒンドゥー教を信仰していた。

古代インドの四王朝、最後の王朝

 紀元前4世紀から7世紀まで、古代インド四王朝時代である。紀元前4世紀に成立したマウリヤ朝、紀元前1世紀に成立したクシャーナ朝、4世紀に成立したグプタ朝、そして、今回見る7世紀のヴァルダナ朝の四王朝である。古代インドを見るうえでこの4つの王朝の違いを把握することが重要である。 

西遊記で有名な玄奘

 ヴァルダナ朝が保護したナーランダー僧院には多くの留学生が訪れた。その中には唐王朝の僧侶玄奘もいた。玄奘は中国古典『西遊記』に出てくる三蔵法師のモデルである。日本では孫悟空の話で有名だと思う。玄奘は、インドでの経験を『大唐西域記』として残している。

 当時の唐王朝は、全盛期で日本をはじめとした多くの近隣諸国が唐王朝朝貢を行っていた。この唐王朝は、北方騎馬民族鮮卑族が作った国である。そのため、もともとあった諸子百家に対抗するため仏教を厚く保護していた。日本などの近隣諸国も仏教を厚く保護していた。

首都カナウジの建設

 ヴァルダナ朝は都を北インドの中央部(のちのデリー周辺)のカナウジに都を置いた。当時、近隣のササン朝ペルシアはイスラム勢力との戦乱で混乱していた。そのため、グプタ朝よりも西に都を置くことができた。

 ヴァルダナ朝滅亡後は、北インドのプラティハーラ朝の都となったが11世紀、カズナ朝のマフムードによって破壊された。

南インドのチャールキヤ朝、ヴァルダナ朝を撃退

 ヴァルダナ朝ハルシャ王は、南インドへ侵攻したがデカン高原を支配することはできなかった。南インドを支配していたドラヴィダ系のチャールキヤ朝が撃退ししたためである。

 ドラヴィダ系は、もともとインダス川流域で生活し、インダス文明を築いていた。しかし、アーリア人の侵入でインダス川流域を追い出され南インドへ移住した。現在のタミル人である。

イスラム教の成立とササン朝ペルシアの滅亡

 古代インド四王朝は、隣国の強国ペルシャの状況を受けていた。古代インドの時代はまだイスラム教は存在していない。イスラム教が成立したのは、この6世紀の初頭の頃であった。

 このころ、中東ではイスラム教が成立した。イスラム勢力は次第に力をつけ、ササン朝ペルシアを滅ぼした。その後、ウマイヤ朝が成立。スペイン(西ゴート王国)やビザンツ帝国への侵攻を始めた。

 このころ、ペルシャは、ササン朝イスラム勢力の戦の真っただ中であった。そのためペルシアはインドに侵攻する余裕はなかった。そのため、ヴァルダナ朝が成立できたものと思われる。しかし、ササン朝が滅亡し、イスラム勢力がペルシャを平定した8世紀に入るとイスラム勢力はインドへ侵攻するようになる。

ヴァルダナ朝の滅亡

 ヴァルダナ朝の時代は長くはなかった。ハルシャ王が亡くなると間もなくヴァルダナ朝が滅亡した。これにより、13世紀まで続くラージプートの戦乱期に入る。
 ヴァルダナ朝崩壊後のベンガル地方無政府状態となった。このベンガル地方をめぐって、北インド(デリー)のプラティーハーラ朝やデカン高原のラーシュトラクータ朝がこの地へ侵攻しようと狙っていた。

義浄がナーランダー僧院に留学

 分裂状態のインドでも、ナーランダー僧院は健在であった。7世紀後半に入ると唐王朝の僧侶義浄が留学にやってきた。義浄は多くの仏典を持ち帰る関係で陸路では海路でインドへやってきた。帰国後、『南海寄帰内法伝』を残した。

 義浄は、帰りに東南アジアにによっている。東南アジア(マレーシア)にはシュリーヴィジャヤ王国があった。シュリーヴィジャヤ王国は7世紀に成立した国であった。このころまだ、東南アジアまでイスラム勢力は来ていない。シュリーヴィジャヤ王国では仏教(大乗仏教)が信仰されていた。

 

 

この頃の日本は

 

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