そのころ、ペルシアでは、セレウコス朝シリアから独立したパルティアが全盛期を迎えていた。
ミトラダテス1世の全盛期
71年 ミトラダテス1世即位
→ パルティア全盛期
東、バクトリアでは内乱
西、セレウコス朝シリア → パレスチナ遠征
→ 両国の混乱に乗じて国土拡大
55年 ペルシア(メディア)を統一
セレスコス朝シリアはペルシア奪還に向けて兵を送る。
しかし、セレウコス朝シリアの都、セレウコス(メソポタミア)に入城
41年 メソポタミア(イラク)を併合
都をクテンフォン(バグダード)へ遷都
それまでの都、バビロンは次第に衰退した。
ヘレニズム文化を継承
パルティアは、遊牧ペルシア人国家である。
しかし、紀元前2世紀、多くのギリシア人が移住していた。
そのため、貨幣や言語はギリシアのものを使っていた。
ペルシアの伝統的宗教ゾロアスター教に対しては特に保護することはなかったが
ミトラダテス1世はすべての宗教に関して寛容な態度をとっていた。
そのころ、中央アジアでは大月氏が登場
2世紀初頭 バクトリア、ガンダーラ地方へ侵攻
中央アジアのギリシア人国家バクトリアは、インドのマウリア朝の衰退に乗じて
ガンダーラ地方へ侵入した。
ガンダーラ地方とは、西北インドを流れるインダス川上流地域
現在、インドとパキスタンの係争地になっているパンジャーブ地方である。
当時は、シルクロードの交易都市として栄えていた。
ギリシア人のガンダーラ侵入により、ヘレニズム文化とインド文化が融合。
ガンダーラ美術がこのころ発生した。
40年 大月氏が中央アジアに進出
冒頓単于(ぼくとくぜんう)率いる匈奴に追われ
中央アジアに進出
39年 バクトリア滅亡
中央アジアにあったギリシア人国家バクトリア
北方や東方の騎馬民族の侵入によって滅ぼされた。
しかし、このころ中央アジアの歴史はまだ謎の部分も多い
バクトリアを追われたギリシア人は、インダス川上流ガンダーラ地方へ移住した
ミトラダテス1世が亡くなると
38年 ミトラダテス1世 没
29年 セレウコス朝シリアに大勝
24年 ミトラダテス2世即位
次回予告
「紀元前3世紀のペルシア セレウコス朝シリア
ペルシア遊牧民族国家パルティアが独立」
このころ、隣国ヨーロッパは
このころ、東アジアは