漢皇帝の武帝は、積極的な対外戦争や大量の役人採用によって財政難に陥った。
このころになると、重税や労役(対外戦争など)によって逃亡する農民が多くなった。彼らは、広大な土地を買い占めた豪族のもとで小作人として働くようになる。逃亡農民が増えると当然税収は減る。
そのため、経済統制を行った。塩などの専売(民間での販売を禁止し、国家が独占的に販売する。現在日本でいうたばこのようなもの)、モノの価格を国家がコントロールしようとした。しかし、失敗した。
一方、武帝は、これまで主流だった法家や道家ではなく、秦王朝で弾圧されていた儒学を重んじた。
また、司馬遷の史記はこの時代に書かれた。
武帝が87年に亡くなると、幼少の皇帝が続いた。その結果、皇帝の后(奥様)の一族<外戚>や後宮で后の世話をする役人<宦官>が勢力争いをして政治は混乱する。