15世紀(1401年~)、日本は室町時代で、金閣寺や銀閣寺ができたころである。
このころ、ロシアは当時モスクワ大公国とよばれ、モンゴル人国家に貢納を行っていた。
ビザンツ帝国が滅亡すると、モスクワ大国はビザンツ皇族と婚姻関係をむすび、ビザンツ皇帝の後継者の立場をとるようになる。それと合わせて、モンゴル人国家への貢納を取りやめ、独立国への道を歩み始める。
15世紀初頭のヨーロッパ情勢
西欧 → イギリスフランスの百年戦争の真っ只中
中欧 → フス戦争
15世紀初頭のロシア
当時、ロシアはモスクワ公国と呼ばれていた。モスクワ公国は、モンゴル人のキプチャクハン国に貢納を行っていた。
ビザンツ帝国の滅亡
ロシア人が信仰するギリシア正教会の総本山、ビザンツ帝国は15世紀滅亡した。
22年、オスマン帝国はコンスタンチノーブルを包囲
53年、ビザンツ帝国は滅亡した。
それ以外の周辺国の状況
ポーランドではヤゲヴォ朝の全盛期。ハンガリーやウクライナを支配下においた。東欧の大帝国になっていた。
北欧では、デンマークを中心にカルマル同盟が結成された。
イヴァン3世の独立宣言
62年、モスクワ大公に即位
72年、ビザンツ帝国最後の皇帝の姪を后に向かえる。
ビザンツ皇帝の後継者の立場をとるが、イヴァン3世自身は皇帝(ツァーリ)とは名乗っていない。
80年、キプチャクハン国への貢納をやめる。
「タタールのくびき」から脱却
このころの日本は