10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

中国史

1870年代の中国 清王朝 西太后 清王朝、日本の明治新政府と国交樹立

摂政になった西太后 1879年、清王朝はかつての朝貢国明治新政府と対等外交を結ぶくことになる。当時の清王朝は中央アジアのイスラム教の反乱で苦しんでいた。また、同治帝がなくなり、幼い光緒帝が即位。同治帝の后西太后が摂政となった。西太后は、洋務運動…

1880年代の中国 清王朝 西太后 清王朝、第三共和制フランスに朝貢国ベトナムを奪われる。

清仏戦争 1880年代の清王朝は、3つの対外戦争の危機に瀕していた。1つ目は、ロシア帝国と中央アジアをめぐり対立していた。2つ目はフランスと東南アジアのベトナムの宗主権をめぐる対立。3つ目は、日本と朝鮮半島の宗主権をめぐる対立であった。ロシアとは、…

中国の歴史 12月の復習と今週の予告

あけましておめでとうございます。sekaishiotakuです。 お正月はいかがでしたか。 年末年始は、東南アジア史をやっていきましたがいかがでしたでしょうか。 今週から中国の歴史に戻ります。その前に、前回までの復習と今週の予告をざっくり説明いたします。

1890年代の中国 清王朝 西太后 日清戦争で朝鮮を失う。三国干渉で中国分割が始まる。

中国分割の状況 1890年代の清王朝は、衰退期にあった。95年、日清戦争で日本の明治政府に敗北。帝国主義時代に入ったヨーロッパ諸国は、この結果を受けて清王朝の半植民地化をはじめる。(中国分割)。清王朝の光緒帝は、日清戦争の敗北をうけて、康有為らの…

1900年代の中国 清王朝 西太后 民衆(義和団)の暴動に乗って西洋諸国と戦うも失敗、そして日露戦争へ

義和団事件鎮圧にむかう8か国連合軍 1990年代の清王朝はすでに末期に入っていた。義和団事件で半植民地化から脱しようとしたが失敗。首都北京に各国軍隊が駐屯するようになる。日露戦争が始まるが、清王朝は中立を保つ。政治面では、1890年代にとん挫した立…

1910年代の中国 中華民国 第一次世界大戦と清王朝の終焉

ラストエンペラー溥儀 1910年代、ついに清王朝は孫文ら革命勢力によって倒される。しかし、革命勢力は権力を握ることはできず、袁世凱ら旧漢人官僚が支配するようになる。袁世凱の新政権に最初に降りかかった課題が第一次世界大戦である。新政権はイギリス、…

1920年代の中国 中華民国 軍閥と共産党と国民党 そして日本

蒋介石 1920年代の中国は、戦乱で荒れていた。日本は第一世界大戦で得た山東半島の権益をワシントン会議で返還した。19年に再結成した中国国民党と、21年に結成された中国共産党は、24年、列強と結びついた軍閥を一掃するため、第一次国共合作を行い、北伐(…

1930年代の中国 中華民国 満州国建国と日中戦争

日中戦争 1930年の中国は、中華民国は蒋介石の国民党が権力を握っていた。31年、中国南部で毛沢東が共産党政府を成立させた。中国東北部では、31年満州事変が勃発。翌32年には日本軍の支援の下、満州国が独立。当初、国民党政府は共産党政府の攻撃を重視した…

1940年代の中国 中華民国 第二次世界大戦に勝利、中華人民共和国を建国

毛沢東 1940年の中国は、日中戦争下にあった。そのため、英米が支援する国民党とソ連が支援する共産党が連携して日本と戦っていた。45年日本が敗戦。国民党と共産党による内戦が再開。経済失政で国民の支持を得られなかった国民党が敗北。1949年中華人民共和…

1950年代の中国 中華人民共和国 毛沢東と朝鮮戦争

大躍進政策下の中国 49年10月に成立した中華人民共和国は、国家主席を毛沢東、首相を周恩来として、北京を首都として成立した。もちろん、スターリン政権下のソ連はこれを支援した。一方、朝鮮半島では、ソ連が支援する北朝鮮とアメリカが支援する韓国が48年…

1960年代の中国 中華人民共和国 ソ連と対立、文化大革命で毛沢東の時代に戻る。

文化大革命時の周恩来氏 60年の中国は、「大躍進」政策の失敗で毛沢東らは失脚。劉少奇、鄧小平ら修正派が政権を担っていた。外交では、53年スターリンの死によって政策を転換したソ連(のちのロシア)と対立。 国内では、修正派政策に不満を持つ勢力により6…

1970年代の中国 中華人民共和国 ニクソンショックと毛沢東の死

ニクソン大統領 1970年代の中国は、内政的にも外交的にも転換期にあった。内政的には、建国の父毛沢東の死により、文化大革命が終了した。一方で、外交的には、ニクソン訪中や田中角栄の日中平和条約により、日本やアメリカなどの西側諸国の関係改善が進んだ…

1980年代の中国 鄧小平 一党独裁を維持しながら市場経済を導入

鄧小平像 76年の毛沢東、周恩来の死により、鄧小平ら経済改革を進める修正派が台頭した。

1989年の中国 中華人民共和国 民主化を求める学生デモ武力鎮圧

天安門広場 鄧小平の開放経済政策が進む中、学生や知識層の中から政治的民主化を求める動きがおこった。つまり、中国共産党の一党独裁の打破である。その原因は、開放経済政策による物価高騰と私服を肥やす特権階級への批判であった。

1990年代の中国 中華人民共和国 江沢民 天安門事件で孤立する中、アジア諸国と国交回復、香港返還

返還された香港 天安門事件の影響で総書記に就任した江沢民総書記は、鄧小平の経済改革政策を継続した。一方で、天安門事件の影響で国際的に孤立していた。その打開として、東南アジア諸国との国交正常化や天皇訪中を実現した。97年、イギリスから香港が返還…

2000年代の中国 中華人民共和国 胡錦涛 北京オリンピックと四川大地震

北京オリンピック 2002年、江沢民総書記の引退を受けて胡錦涛氏が中国共産党の総書記の地位に就いた。胡錦涛総書記は、急速な経済成長を実現し、2008年北京オリンピックを開催した。

2010年代の中国 中華人民共和国 習近平 世界第2位の経済大国として

経済発展著しい上海 2010年、上海で万博が開かれた。この年、GDPは、日本を抜いて世界第2位の経済大国となった。2012年、共産党総書記は、胡錦涛氏から習近平氏へ移った。

中国史編 目次

中国 国旗 Youtubeで入手した情報で、日本史は現代からさかのぼったほうが興味が入って頭に入りやすいとのこと。今回から、現代から古代へ向かっていく形で作成していこうと思います。例によって実際にはタイトルを変えるかもしれませんがご容赦ください。 …

なぜ、中国史から入るのか

こんばんは、sekaishiotakuです。日本史編はいかがだったでしょうか。「ざっくりと」表題をうっているわりには、深入りしすぎたかもしれません。 来週から、中国史編に入ります。なぜ2回目に中国史を選んだかというと、西洋史よりも私的にわかりやすいと思っ…