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新生銀行が泥棒と呼ばれるわけ

 こんにちは、sekaishiotakuです。今までの内容とかけ離れた内容でになりますが、今回の投票の判断にぜひ加えていただきたいと考えて、何件かブログを挙げていきます。

 今回は、たまたまYahooニュースでみたし新生銀行の記事を紹介したいと思います。

 なぜ、この記事を目に留まったかというと、、1つ目は、現在扱っている東南アジア編でアジア通貨危機を取り扱い。その要因の一つに新生銀行の衰退の要因となったバブルの崩壊があったからである。

 2つ目は、私の友人で新生銀行にひどい目にあわされた人がいたからである。この話はブログの最後で紹介します。

 今回の記事は、自分の偏見や誤りを含まれています。ご注意ください。

ニュースの概略

 このニュースは、SBIホールディングス新生銀行を買収しようとしている。これに対し、新生銀行は買収防衛策を発表。今回の記事はSBI証券の社長が新生銀行の買収防衛策に対抗した記者会見の記事である。

 SBIホールディングスは、ソフトバンク系列の金融部門が独立してできた会社である。近年は、弱った地方銀行をまとめ第4のメガバンクを目指している。新生銀行の買収もその一環である。

新生銀行が泥棒と呼ばれたわけ

 その理由は、大株主の状況に記載されている。21年3月末時点で新生銀行筆頭株主SBIホールディングスである。すなわち、買収相手である。問題は2番目と3番目である。預金保険機構と株式会社整理回収機構である。株式会社整理回収機構預金保険機構の100%子会社で実際は1つの会社である。すなわち、預金保険機構が実質の筆頭株主である。

 この預金保険機構は、日銀と民間銀行が出資して設立した機関である。しかし、この株式を取得資金は税金が導入された。98年に金融再生法成立。このとき、日本政府は税金で多くの銀行の増資を引き受けた。その経緯は後述。

 この時に増資は、経営が安定したら買い戻すことが条件であった。新生銀行以外のすべての銀行がこの返済をおえた。新生銀行は国の税金で運営されている金融機関ということになる。この先は、新生銀行の歩みを通じて、なぜ新生銀行公的資金を返済できないのかを見ていく。

日本長期信用銀行

 新生銀行の前身である日本長期信用銀行は50年代前半の吉田内閣の時代に設立された。普通銀行では取り扱えない長期の貸し付けを専門的に行う金融機関として設立された。

 これを進めたのが池田大蔵大臣である。池田大蔵大臣は、60年代に首相になる。池田派(宏池会)を結成する。これが現在の岸田派である。

 高度成長期に入ると、順調に利益を伸ばしていった。

石油危機と低長期

 70年代に入ると、ニクソンショックによる円高オイルショックによる原料不足で体裁長期に入った。この頃になると日本の優良企業は国際的信用を得て、長期の資金を社債や株式で調達するようになった。

 日本長期信用銀行は、重要な顧客を失っていた。そのため、融資先を不動産業や建設業、流通業へ転換していった。ダイエーやそごうがその代表である。

派閥対立

 80年代に入ると2つの派閥が対立した。不動産関連融資拡大派投資銀行推進派である。不動産関連融資拡大派は、住宅ローン専門の金融会社を中心に、不動産業などへの融資を拡大させようとする派閥である。一方、投資銀行推進派は、長期債販売で築いた富裕層向けに投資商品販売を強化しようとする派閥である。

バブル経済

 85年のプラザ合意をきっかけに円高不況が始まる。日銀は大幅な金融緩和に踏み切った。これにより不動産価格は暴騰した。これにより、勢いづいいたのが不動産関連融資拡大派であった。88年、不動産関連融資拡大派の頭取が誕生。投資銀行推進派は退社。他行や外資系に転籍した。その多くは富裕層向けビジネスに強い人々であった。

 余談だが、岸田首相が長銀をやめたのは87年である

バブルの崩壊

 念のために、記載しておきますがここから先も日本長期信用銀行の話である。決してリーマンショックの話ではない。

 このころ、不動産価格の高騰が問題視された。89年、日銀は金利の引き上げを開始。90年、大蔵省は不動産融資の規制を開始した。これにより、90年代前半不動産価格は大幅に下落した。

 これにより、不動産関連の企業が経営難になった。ダイエーやそごうも経営難になったのは言うまでない。これにより、金融機関は多くの不良債権を持つようになった。(不良政権とは、回収が難しい貸付金のこと)。日本長期信用銀行は不動産関連の融資を拡大していたのでそれは深刻であった。

粉飾決算

 日本長期信用銀行では、子会社の巨額な不良債権が問題になった。経営陣は回収不能な債権を回収可能と偽り、決算を発表。不動産価格が元に戻れば問題にならなかったが、実際は元に戻らなかった。

 この粉飾決算がのちの合併交渉の障害になった。

貸しはがし

 90年代、金融機関は多くの銀行が貸し渋り貸しはがしを行った。貸し渋りは、本来貸付可能な融資先に貸し付けを行わない行為。貸しはがしとは、借り換えと偽って繰り上げ返済をさせて、そのあとの融資を実行しない行為である。

 日本長期信用銀行貸しはがしは、他行に比べても悪質だったといわれている。当時を知る経営者は、この経験から新生銀行からの融資を受けていないようである。結果、00年代に個人取引(リテール)重視にならざるを得なかった。

税金による国有化

 97年、都市銀行北海道拓殖銀行が破綻。98年の金融国会で金融再生法が成立。ほとんどの金融機関に税金が投入された。これが公的資金注入である。これに尽力したのが、当時大蔵大臣の宮澤元首相(宏池会)である。冒頭で説明した預金保険機構の出資額はこの時に投入された分である。

 同じ頃、日本長期信用銀行は、スイス銀行との合併交渉に入っていた。しかし、ここで前述の粉飾決算が発覚。合併交渉は破談になり、証券会社をスイス銀行にとられた。

 その後、多くの金融機関と合併交渉が行われたが失敗。最終的に国有化され、税金による不良債権処理を行い、外資系の企業再生ファンドに売却された。当時、外資系の企業再建ファンドはハゲタカファンドと呼ばれ揶揄された。

リテール業務強化へ

 00年、日本長期信用銀行新生銀行として出発した。90年代の悪質な貸しはがしで融資業務を行うことができず、リテール業務強化で再出発した。しかし、80年代の派閥対立で、富裕層ビジネスに強い人材はすでにいなかった。結果、消費者金融などの当時を知らない若者層との取引が中心となった。

ハゲタカファンド

 新生銀行は、税金を使って不良債権処理を行い04年に再上場。ハゲタカファンドは1000億円以上の利益を上げた。一方で、新生銀行には10兆円以上の税金が投入されている。

 また、そごうなどの企業は、税金による補助金を得るために強引に経営破綻させられ失業率を上げたとされている。

リーマンショックあおぞら銀行との合併失敗

 08年から、あおぞら銀行との合併交渉を開始。

 08年9月、リーマンショックが発生。金融機関の収益が低下した。さらに、はけんぎにより若年層を中心に失業率が上昇した。

 若年層への融資比率が高いと思われる新生銀行は、他行に比べて損失が大きくなった。そのため、10年に最終赤字に転落。あおぞら銀行との合併は失敗した。

税金でリストラされた友人

 最後に、数年前まで金融業界で働いていた友人の話をする。彼のいた会社は、給与の改定が行われた。一部の人の給与が引き下げられ、一方で一部の人の給与が大幅に引き上げられた。その後、新生銀行の買収が発表。新生銀行から多くの役員が入った。

 これですべての謎が解けた、ここから先は、あくまで私の推測である。おそらく経営陣に高額報酬を支払うために給与の引き下げを実施。買収の協力者の給料を引き上げた。

 彼は、労基に相談した。違法の可能性が高いが、労基として動けるほどのレベルではないといわれた。弁護士とも相談したが、訴訟コストの方が高いため断念した。今は、金融業界を離れて働いている。

岸田首相と新生銀行

 私の友人をはじめ、新生銀行は多くの人の生活を苦しめた。企業である以上、全員を幸せにすることは難しいが、個人的には新生銀行は多いように思える。

 一方で、その銀行と関係が深いのが宏池会こと岸田派である。設立に尽力した池田首相。税金で救済した宮澤元首相。そして、岸田首相は、日本長期信用銀行の元社員である。