1860年代、日本では大政奉還が行われ、明治新政府が成立した。
このころ、ロシア帝国はクリミア戦争の敗戦から、改革の断行を進めていた。その代表例が農奴解放令である。
- 60年 北京条約で、ウラジオストークを得る。
- 61年 農奴解放令
- 63年 ポーランド大反乱
- 65年 中央アジアへ進出
- 66年 ドストエフスキー「罪と罰」
- 67年 アメリカにアラスカを売却
- 69年 トルストイ「戦争と平和」
- 70年 黒海中立宣言を破棄
60年 北京条約で、ウラジオストークを得る。
ロシアは、アロー戦争の講和を仲介
その見返りに、清王朝からウラジオストークなど沿海州を得る。
この事件は明治新政府に大きな脅威となった。
61年 農奴解放令
農奴に人格の自由と土地所有を認める
貴族(地主)は、有償(かなり高額)で農奴に売却
その資金は、国が農奴に貸し付ける。
租税や国への返済のため、各地に農村共同体(ミール)が結成された。
農村共同体の中から、革命政府の基礎となる運動が始まった。
→ ナロードニキである。
63年 ポーランド大反乱
クリミア戦争の敗北をチャンスととらえ実施
土地の無償廃止などを行った
しかし、ロシア軍は武力鎮圧
その後、ロシア語の強制が始まった
→ キュリー夫人の日記などを参照
65年 中央アジアへ進出
66年 ドストエフスキー「罪と罰」
67年 アメリカにアラスカを売却
69年 トルストイ「戦争と平和」
70年 黒海中立宣言を破棄
クリミア戦争で再確認された黒海中立宣言を破棄
ふたたび、バルカン半島へ向かう準備を始めた。
このころ、日本は
このころ、ヨーロッパは
このころの中央アジアは