10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

紀元前6世紀のペルシア アケメネス朝 ペルシアがオリエントを統一

 紀元前6世紀初頭、ペルシアはメディア王国が支配していた。

 紀元前7世紀中ごろ、メディア王国からアケメネス朝が独立。このアケメネス朝がオリエントを統一していく。紀元前6世紀末には、アケメネス朝は全盛期を迎える。その時の王がダレイオス1世である。

 

 

キュロス2世 オリエントの再統一

59年 アケメネス朝ペルシア、メディア王国から独立

   メディア王国の支配下にいたペルシア人イラン高原で独立。
   初代国王は、キュロス2世

50年 アケメネス朝ペルシア、メディア王国を滅ぼす

   メディア王国とは、紀元前7世紀にアッシリア帝国を滅ぼした国の1つ
   ペルシア高原などオリエント東部を支配。

46年 アケメネス朝ペルシア、 リディア王国(トルコ)を滅ぼす

   リディア王国とは、紀元前7世紀にアッシリア帝国を滅ぼした国の1つ
   小アジア(トルコ)を支配。
   世界最初の貨幣を作る。

38年 アケメネス朝ペルシア、新バビロニアイラク)を滅ぼす

   新バビロニア王国とは、紀元前7世紀にアッシリア帝国を滅ぼした国の1つ
   メソポタミアイラク)を支配。
   オリエント最大の都市、バビロンに都をおく。
   

バビロンの捕囚の解放

    新バビロニアは、86年、シリアのユダ王国を支配。
    ユダヤ人をバビロンへ連行した。
    38年、アケメネス朝ペルシアが新バビロニアを滅ぼすと
    ユダヤ人は解放された。

 

 当時、ペルシアではゾロアスター教が信仰されていた。
 しかし、征服地にゾロアスター教の信仰を強制することはなかった。
 ユダヤ教徒など異教徒にも寛容であった。

 フェニキア人の交易拠点も支配下に入れた。
 ペルシア人は、フェニキア人の交易を保護した。

アケメネス朝、全盛期を迎える。 

29年、キュロス2世が亡くなる

25年 アケメネス朝ペルシア、エジプトを征服

 エジプトは、新王国の時代
 7世紀に一時、アッシリア帝国服従ものちに追放。
 アケメネス朝ペルシアの征服により、新王国は滅亡した。
 

   → アッシリア帝国以来のオリエントの統一 
     西、エジプト、小アジア(トルコ)
     東、インドのインダス川

22年 ダレイオス1世即位、全盛期を迎える。

 バルカン半島へ侵攻
 ギリシア北部のマケドニアを臣従させる。

 サトラップ 各州の知事
 「王の目」「王の耳」 → サトラップの監視役
 王の道

 異民族に寛容な政策

 ファニキア人を使った地中海交易

00年 ペルシア戦争開戦

 ダレイオス1世の全盛期に、ペルシア戦争は始まった。

次回予告

「紀元前7世紀以前のペルシア アケメネス朝以前のペルシアとオリエント」

次回がイラン・ペルシア史編の最終回です。
9月からは、インド史編を始めます。

お楽しみに

 

このころの東アジアは

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころのヨーロッパは

 

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