1910年代、第1次世界大戦が勃発した。この第1次世界大戦下のロシア帝国でロシア革命は勃発した。
1910年のロシアの状況
ロマノフ朝
当時のロマノフ朝は、ストルイピンの反動政治で皇帝権を強化していた。
革命派
革命派は4つのグループに分かれていた。
社会革命党(エス=エル)
ナロードニキの流れをくむ社会主義政党
農村(小作人)が中心
メンシェヴィキ
都市労働者向け社会主義政党
資本家との連携を重視
ポリシェヴィキ
都市労働者向け社会主義政党
資本家(金持ち)と対決姿勢を鮮明に
レーニンらが中心
外交
三国協商側 イギリス、フランスと同盟
三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)と対立
第1次世界大戦の原因 東方問題
11年09月 反動政治を仕切っていたストルイピンが暗殺される
12年05月 バルカン同盟
バルカン半島のスラブ系諸国による秘密軍事同盟
→ 仮想敵国は、オスマン帝国
→ ロシアは、オーストリアへのけん制としてこの同盟を支援
12年10月 第1次バルカン戦争
11年のイタリア=トルコ戦争で弱体化したオスマン帝国に対し
バルカン同盟が宣戦
バルカン同盟が勝利し、領土を拡大した。
13年02月 第2次バルカン戦争
オスマン帝国から奪った領土をめぐりバルカン同盟が分裂
ブルガリアが敗北
← 第1次バルカン戦争の勝利により
13年 ロシア、ペテルブルグの大ストライキ
第2次世界大戦前の構図
フランス陣営
ロシア 露仏同盟
イギリス 英仏協商
日本 日英同盟
バルカン同盟 (セルビア、ギリシアなど)
オーストリア、オスマン帝国と対立
イタリア
未回収のイタリアをめぐり、オーストリアと対立
北アフリカで オスマン帝国と対立(イタリア=トルコ戦争)
ドイツ陣営
オーストリア
オスマン帝国 3B政策の終点(バグダード)
ブルガリア 第2次バルカン戦争でバルカン同盟から追放
第1次世界大戦
14年06月 第一次世界大戦勃発
14年08月 ロシア帝国、タンネンベルクの戦いでドイツ軍に壊滅的敗退。
15年11月 ドイツ軍、ロシア領に侵入
16年 シベリア鉄道完成
ドイツの支援で、ポーランド独立宣言
ロシア革命
17年03月 二月革命 → ロマノフ朝滅亡、共和制へ
この時点では、まだ共産主義国になっていない
ベオグラードでストライキ
軍隊が合流
各地でソヴィエト(評議会)を組織
→全国へ波及
臨時政府を樹立
立憲民主党(ブルジョワ)が中心
17年04月 レーニン帰国、四月テーゼ
すべての権力をソヴィエトへ
パンと平和と土地 を約束 → 第一次世界大戦の即時停戦を主張
17年07月 ケレンスキー内閣
立憲民主党、社会革命党、メンシェヴィキの連立内閣
自由主義内閣
レーニンらポリシェヴィキは入っていない
17年 反革命派の反乱
臨時政府は鎮圧できず
ポリシェヴィキが鎮圧
17年11月 十月革命
ポリシェヴィキによる臨時政府に対する革命
→ ソヴィエト政権が樹立
平和に関する布告 → 即時停戦、無併合・無賠償・民族自決
土地に関する布告 → 地主所有地の無償没収・土地所有権の廃止
レーニンの政策 戦時共産主義
背景
反革命政権との内戦
対ソ干渉戦争
内容
余剰農産物の強制拠出
すべての工場の国有化
給料は現物支給 → 労働意欲の低下 → 生産の停滞
立憲民主党の非合法化
17年12月 休戦(ソ連、単独で第一次世界大戦より離脱)
17年12月 ポーランド独立
18年03月 ソ連、ドイツと単独講和
19年 コミンテルン(第3次インターナショナル)成立
レーニン(ロシア共産党)が主導
19年 フィンランド独立
次回予告
「1900年代のロシア ロマノフ朝 ニコライ2世
日露戦争に敗北でグレートゲーム終了」
このころの日本は
同盟国フランスの状況は