10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

イラン・ペルシア史

1820年代のペルシア カジャール朝 ペルシア版不平等条約 トルコマンチャーイ条約

1820年代、日本は徳川家斉の治世。好景気に沸き、化政文化が花開いた。 このころ、カジャール朝はロシア帝国に敗戦。ペルシア版不平等条約 トルコマンチャーイ条約を締結する。これにより、カジャール朝はヨーロッパに対し治外法権を認めたほか、多額の賠償…

1830年代のペルシア カジャール朝 第一次アフガン戦争

1830年代、江戸時代後期。日本は徳川家斉の好景気が終焉。天保の大飢饉が起きたころである。大阪では大塩平八郎の乱が行われている。 このころ、カジャール朝ペルシアでは、第一次アフガン戦争の真っただ中にあった。この戦争は、カジャール朝ペルシアとアフ…

1840年代のペルシア カジャール朝 バーブ教徒の反乱

1840年代、日本は江戸時代後期。遠山の金さんが活躍していたころ。寛政の改革やアヘン戦争の対応に気を配っていた。 このころのカジャール朝ペルシアは、ロシア帝国に続き、イギリスの脅威を受けるとこになる。38年の第一次アフガン戦争の敗北はその一例であ…

1850年代のペルシア カジャール朝 クリミア戦争の裏で一息つくカジャール朝ペルシア

1850年代、日本はペリー来航で江戸幕府が大きく揺らいだ。しかし、世界全体の関心事は、これではない。クリミア戦争である。当時の2大帝国、イギリスVSロシアが最高潮に達した瞬間である。

1860年代のペルシア カジャール朝 ロシアの中央アジア進出

1860年代、日本では250年続いた江戸時代がおわり、明治新政府が成立した。いわゆる幕末と呼ばれる時代。 このころ、ペルシア・中央アジア地域の最大の課題は、ロシアの中央アジアの進出であった。

1870年代のペルシア カジャール朝 ロイター利権と第2次アフガン戦争

1870年代、日本は明治初期。ヨーロッパへの脅威を払拭するため富国強兵に努めていた。 このころのカジャール朝ペルシアも、日本同様ヨーロッパの脅威にさらされていた。ロシアとイギリスである。 カジャール朝ペルシアは、国王がイギリスに利権を渡すロイタ…

1880年代のペルシア カジャール朝隣国アフガニスタン、イギリスの保護国になる。

1880年代、明治時代の日本は、大日本帝国憲法を制定。国会を開設した。列強から一目置かれる存在にはなったが、まだアジアの小国として扱われた。 そのころ、ペルシアでは、イギリス(イギリス領インド)とロシアのグレートゲームが展開されていた。

1890年代のペルシア カジャール朝 タバコボイコット運動

1890年代、日本は日清戦争の勝利に沸いていた。これにより、ヨーロッパの植民地競争は清王朝までに達した。 そのころ、ペルシアは、イギリスとロシアのグレートゲームの最中にいた。それに反発するかのようにタバコボイコット運動が始まった。

1900年代のペルシア カジャール朝 日露戦争の影響を受けて立憲革命へ

1900年代、日本は明治時代末期。日本は日露戦争でロシアに勝利した。このニュースはヨーロッパ列強に分割らされたアジア各国に衝撃を与えた。ペルシアもその例外ではない。 カジャール朝ペルシアでは、日露戦争に勝利した年、立憲革命がおき、近代化を進めて…

1910年代のペルシア カジャール朝 第一次世界大戦とイギリスロシアの分割統治

1910年代、世界は第一次世界大戦の真っただ中にあった。日本は、大戦景気を享受し、世界のリーダーの仲間入りを果たした。私はこの時が日本の全盛期と考える。 イランも、第一次世界大戦の影響を受けていた。

1920年代のペルシア レザー=ハン、パフレヴィー朝皇帝に

1920年代、第一次世界大戦が終わり、世界は平和を享受していた。特にアメリカが空前の好景気を迎えていた。一方、日本では、関東大震災を皮切りに長期不況が始まる。 そのころのイランは、カジャール朝が風前の灯のような状況であった。

1930年代のイラン パフレヴィー朝 イラン版明治維新を進めるレザー=ハン皇帝

1930年代、世界は世界大恐慌で停滞していた。そのような中台頭したのがナチスドイツである。 当時の中東は、アラブ民族主義が台頭していた。その背景には、宗主国イギリスの停滞があった。当時のイギリスは、世界大恐慌とナチスドイツの台頭に悩んでいた。

1940年代前半のイラン パフレヴィー朝 第二次世界大戦中、テヘラン会談が行われる。

1940年代前半、第二次世界大戦の真っただ中にあった。 そのころにイランは、インドを支配するイギリスとイランの北の大国ソ連の支配下にあった。そして、イランはソ連に物資を流入する重要な拠点であった。 1943年、ソ連は、テヘランにて、イギリス・アメリ…

1940年代の後半のイラン パフレヴィー朝 ソ連の脅威によって、親米路線にかじをきる。

45年、太平洋戦争が終わる。日本はGHQの占領下にあった。 当時のイランは、イギリス・ソ連の占領下にあった。戦後、テヘラン宣言に基づき独立を回復。イギリス軍は撤兵したものの、ソ連軍はそのまま居座り続けた。

1950年代のイラン パフレヴィー朝 モサデク首相の石油国有化宣言

1950年代、日本は朝鮮特需に沸いていた。「ALWAYs 三丁目の夕日」の世界である。 国際的には、米ソ冷戦の真っただ中にあった。イランはその最前線にあった。その中でイランでは、モサデク首相がイギリスの石油プラントを国有化した。しかし、親米の皇帝派に…

1960年代のイラン パフレヴィー朝 イラン、皇帝による西洋化政策(白色革命)

1960年代、東京はオリンピックで盛り上がっていた。 そのころ、イランではパフレヴィー2世の改革を進めた。これにより経済力が付いた一方で、格差は拡大。また、反イスラム的な政策により、一部の国民から不満が高まった。 このころ、OPECが設立。60年のアフ…

1970年代のイラク ホメイニ師 イラン革命で宗教色を高め、アメリカとの関係悪化

1970年代、日本では日中国交正常化や列島改造計画で有名な田中角栄首相の時代であった。 そのころの中東では、3つの新政権が樹立した。イランのホメイニ師政権。イラクのフセイン政権。アフガニスタンの共産主義政権である。 イランは、政権交代によりアメリ…

1980年代のイラク ホメイニ師 イラン国際的に孤立し、イラン=イラク戦争勃発

80年代、日本はバブル経済に向かっていた。 その前年79年、2つの反米政権が樹立した。イランのホメイニ師のイラン=イスラム共和国とアフガニスタンの共産主義政権である。 80年代、イランとアフガニスタンは戦争状態になる。イランではイラン=イラク戦争。…

1980年代後半のイラン ホメイニ師 イラン=イラク戦争終結

80年代後半、日本は平成時代に入る。当時はバブルの絶頂期であった。世界に目を向けるとベルリンの壁崩壊で冷戦が終結する方向に向かっていた。 そのころのイランは、イラン=イラク戦争の真っ只中にあった。その戦争も89年に終結。同じ年、イランの最高指導…

1990年代のイラン イラクのフセイン大統領、湾岸戦争で多国籍軍に攻められる。

1990年代、日本は平成に入ったばかりで、平成不況の真っ只中にあった。 このころ中東では湾岸戦争が起きていた。湾岸戦争は、イラク(イランの西)がアメリカなどの多国籍軍に攻められた事件である。当時、イランはイラン=イラク戦争に敗れ、ホメイニ師が亡…

2000年代のイラン 核開発疑惑で孤立化するイラン

9・11テロで始まった2000年代。アフガニスタン、イラク、イランそれぞれアメリカのブッシュ大統領(子)の攻撃を受けた。

2010年代のイラン イランVSサウジアラビア

現在のイランは、国際的に孤立している。その理由は、次回紹介する核開発疑惑とシリア内戦である。しかし、アラブの春やイラク戦争の影響で、中東諸国での発言力は高くなった。現在、中東の盟主の立場として、サウジアラビアとの対立を深めている。 一方、周…

イランの地理 イランってどこ?

4月からイランの歴史を取り扱っていきます。今回は、イランの地理と周辺諸国を取り扱っていきます。また、原則イランの歴史を取り扱っていきますが合わせて、イラク、クウェート、アフガニスタンの歴史も取り扱ってきます。