10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2018-01-01から1年間の記事一覧

1910年代の日本 明治から大正へ 大戦景気に沸く日本、世界のリーダーに仲間入り

1912年、明治から大正に代わる。 1914年第一次世界大戦がおこる。日本は、イギリス・ロシアの三国協商側で対ドイツに参戦。中国や太平洋のドイツ権益を攻めた。 この時、日本は、清王朝を倒した中華民国の袁世凱政権に対し、清王朝と結んだ日本の権益の継続…

1900年代の日本 明治(日露戦争) 明治政府の政治課題、ロシア戦に勝利

1900年に清でおきた義和団事件は、列強により鎮圧された。北京には各国の軍隊が駐屯するようになる。もちろん、この主力は日本とロシアである。 このころ、イギリスは南アフリカ戦争などの植民地の反乱で苦しくなり、東アジアの防衛まで手が回らなくなってい…

1890年代の日本 明治(日清戦争) 国民軍体制の日本が傭兵軍団の清を破る。

朝鮮の独立をめぐり、日清戦争がおこる。戦力は圧倒的に清が優勢であったが、清軍はほぼ傭兵で忠誠心が低く、明治維新で国民軍体制を確立した日本が勝利した。日清戦争に勝利すると、清の最後の冊封国朝鮮を独立させ、清からは多額の賠償金とともに台湾と朝…

1880年代の日本 明治 アジア初の国会開設のために奮闘した伊藤博文

1880年、国会開設デモをうけて、明治天皇は10年後に国会開設の詔を発布した。明治新政府はこの10年の政治課題は、国会開設のための憲法制定となった。当時の政治の中心物は伊藤博文であった。伊藤博文はみずからヨーロッパに憲法調査に向かった。伊藤博文が…

1870年代の日本 明治 職業軍人の武士からナポレオン型国民軍体制へ、

明治新政府の下、次々政治改革が行われる。中央集権化を進める廃藩置県。税制改革(地租改正)。徴兵制の導入などである。1800年代のナポレオン戦争で国民軍の強さが認められ、武士による職業軍人の世界から国民軍体制への移行が求められた。また、産業革命…

1860年代 幕末 幕末の英雄たちは日本海に進出するロシアから日本をいかに守ろうとしたか。

いわゆる幕末は、この時代である。この激動な時代について書かれた本は多いのであっさりと進めさせて頂きます。 このとき、徳川幕府は、天皇に征夷大将軍の地位を返上し、江戸を無血開城した。これにより、明治新政府が樹立した。明治新政府は京都では、江戸…

1850年代の日本 開国 クリミア戦争と蒸気船に乗ってきたペリー

アヘン戦争で勝利したイギリスとオホーツク海まで進出したロシアが54年ヨーロッパでクリミア戦争が勃発。その影響は東アジアまで波及した。そのため、両国は日本の開港を必要としていた。また、一方で、太平洋岸のカリフォルニアまで進出したアメリカも太平…

1840年代の日本 開国前夜 アヘン戦争と遠山の金さん

日本最強の将軍で化政文化の象徴である徳川家斉がなくなる。老中水野忠邦は、物価の安定化、財政改革、とともに、芝居などの江戸文化の取り締まりを行った(寛政の改革)。これに反発したのが江戸の町奉行遠山金四郎である。かれは、のちに遠山の金さんとし…

1830年代の日本 家斉バブルの終焉

江戸時代の日本は、化政文化バブルが終わりを告げた。原因は天保の大飢饉(米の不作)である。大阪の大塩平八郎の乱などの暴動(一揆や打ちこわし)が頻発した。そのような中、水野忠邦が老中になる。 25年に出された異国船打払令は大きな問題を発生させた。…

これまでの復習と今後の予習

こんばんは、sekaishiotakuです。 これまでの日本の歴史をタイトルのみ並べてみました。(今日、こっそりタイトルをかえています。)これを見るだけでも日本の流れがわかってもらえると思います。

コラム 世界史の勉強法(なぜこのブログを始めたのか)

おはようございます!sekaishiotakuです。 いよいよ来週は、幕末に入っていきます。ただ、このブログは幕末だとか、戦国時代とか人気のある場面だとしても特段深入りするわけではないので期待をしないでください。 いつもは、平日の朝しかアップしないですが…

1820年代の日本 ドイツ人医学者シーボルトが見た日本

1820年代の徳川幕府の日本は、徳川家斉の親政のもと。化政文化と好景気を享受していた。 このころ、ドイツ人医学者シーボルトが来日。当時のドイツは統一的な王朝はなく、ナポレオン戦争で成立したプロイセンを中心とするプロイセン関税同盟とのちにハプスブ…

1810年代の日本 家斉バブルとナポレオン戦争の終結

1810年代の徳川幕府の日本は、徳川家斉の親政のもと化政文化と好景気を享受していた。そのころ日本海で商船がロシア人にとらえられる事件が発生。当時のロシアは、アレクサンドル1世のもとナポレオン戦争の真っ最中であった。 15年にナポレオン戦争が終結し…

1800年代の日本 家斉バブルに沸く江戸とナポレオン戦争の裏でイギリスが暴れる長崎

江戸時代の日本は、緊縮財政の松平定信が引退し、11代将軍家斉の親政が始まる。松平定信時代には制約されていた商業活動が自由になり、景気は良くなり、歌舞伎や浮世絵などに代表される江戸を中心とした町人文化(化政文化)が花開く このころ、北海道(蝦夷…

18世紀の日本 江戸時代後期 異国船対応と財政難に対応する江戸幕府

18世紀は、5代将軍徳川綱吉~11代将軍家斉の時代である。 犬将軍こと第5代将軍綱吉の時代には、忠臣蔵で有名な赤穂浪士の討ち入り事件が起こる。生類憐みの令がだされたのもこの時代で、財政政策では、財政難を乗り切るため、貨幣の乱発を行い、インフレが起…

17世紀の日本 江戸時代初期~中期 独立戦争中のオランダと手を組む徳川家康

17世紀~1868年までが江戸時代である。17世紀は、初代徳川家康~5代徳川綱吉の時代である。 豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開いた。 江戸幕府は、地方は統治を大名にまかせ、税金も大名に納付させる事実上独立国のような状況…

16世紀の日本 戦国時代 織田信長を大航海時代、鉄砲と石見銀山

16世紀は戦国時代であり、織田信長や豊臣秀吉が活躍したのもこの時代である。この時代、ヨーロッパでは大航海時代で、おもにスペインポルトガルが世界を席巻した時代である。16世紀は、日本もヨーロッパも宗教的に大転換期にあった。日本では織田信長が比叡…

15世紀の日本 室町時代 武家と公家の融合の象徴、金閣寺、銀閣寺

15世紀は室町時代であり、この時代に戦国時代が始まる。 15世紀になり、北京の永楽帝がクーデターで明皇帝に即位すると、周辺国に朝貢を求めた。足利義満は、これを快諾し朝貢貿易を始め、経済力を得た。これを背景に北山文化が始まった。金閣寺はその一例で…

14世紀の日本 南北朝時代 太平記に描かれた鎌倉幕府の滅亡と南北朝の動乱

14世紀は、鎌倉末期と南北朝の時代である。太平記(ちなみに書かれたのは15世紀初頭)の舞台もこの時代である。 当時の武士は、困窮していた。モンゴル撃退に伴う戦費の負担と分割相続による収入の減少である。 武士の不平をみて、京都の後醍醐天皇は、再び…

13世紀の日本 鎌倉時代 素朴で質素な武家社会とモンゴル

13世紀は、鎌倉時代である。 当時の鎌倉幕府の役割は、武士の土地トラブルの訴訟の解決が大きかった。影響力も関東地方周辺に限定されていて、西国は京都の影響力が強く。東北地方は、奥州藤原氏独自の政権を築いていた。源頼朝は東北の奥州藤原氏を滅亡させ…

12世紀の日本 平安時代末期 戦乱により台頭する武士

おはようございます。sekaishiotakuです。 院政がすすみ、天皇と上皇(天皇を譲位して、政治に集中する)などの対立が生じ、多くの戦乱が生じた。保元の乱と平治の乱である。この対立では武士が活躍した。その結果、武士の発言力が大きくなった。 そこで登場…

今後のスケジュール

こんばんは、sekaishiotakuです。 世界史のブログといいながら、日本史の記事が続いております。これは、最も身近な日本の歴史を通じて世界史の知識を入れる入れ物を作っていきたいと思っています。タイトルを日本の歴史と記載しながら中国の歴史についても…

11世紀の日本 平安時代後期 源氏物語の完成と藤原道長の栄枯盛衰

末法思想がブームになる。仏教を信仰すれば、極楽浄土へ行けるという思想で、キリスト教の最後の審判に近い。ちなみに西ヨーロッパでもローマ教皇の影響力が大きくなり、十字軍が始まったのも11世紀末のことである。11世紀初頭に建てた藤原氏が建てた宇治の…

10世紀の日本 平安時代中期 源氏物語の舞台 賄賂と荘園で私腹を肥やす藤原一族

遣唐使が廃止された結果、日本独自の文化が形成された。それまでは、中国の騎馬民族のようなぴっちりした服装が正装とされていたが、十二単などのようなふわっとした服装が主流になった。また、寝殿造りという日本風の建築様式もこの時代に発達した。土佐日…

9世紀の日本 平安時代初期 東北出兵と仏教改革

9世紀~12世紀は平安時代と呼ばれていた。 794年に平安京(京都)に遷都を行った。ただ、政治体制は大きく変わっていない。このころになると唐は、8世紀の安史の乱で都長安が焦土と化した後、再建できずにいた。異民族の侵入(ウイグル人)や内乱(黄巣の乱)…

8世紀の日本 奈良時代 国際色豊かな奈良

日本の7世紀は奈良時代にあたる。 当時の中国は、唐の時代である。唐自体は国際色豊かでペルシアなどの影響を色濃く受けていた。 日本も遣唐使を頻繁に派遣し、唐の影響をかなり受けていた。唐の長安を見習って奈良に平城京をつくり遷都した。奈良時代にでき…

7世紀の日本 飛鳥時代 曹操の政策を手本にした聖徳太子、唐に敗北した中大兄皇子、唐のスタイルを取り入れた天武天皇・持統天皇

聖徳太子は、十七条憲法や魏の九品中正をもとにした役人の人事制度 官位十二階を作った。当時の日本外交の課題は、新羅に奪われた朝鮮半島の領地の奪還にあった。新羅包囲網として、当時の友好国の百済のほか、中国の新興国隋とも仲良くしたかった。中国を統…

6世紀の日本 飛鳥時代 仏教伝来と聖徳太子

当時、ヤマト政権は飛鳥(今の奈良県明日香市)に都をおいていた。そのため6世紀~7世紀を飛鳥時代と呼ばれる。当時、韓国の友好国の百済から仏教が伝わった。それ以前は八百万の神を信仰する神教が信仰されていた。神社が神教の施設であり、寺が仏教の施設…

5世紀の日本 古墳時代 巨大古墳と中国への朝貢を再開

日本各地で古墳が作られている。この時代になると古墳は巨大化し、世界最大級の王墓、大阪府の大仙古墳もこの時代に作られた。この時代には天皇を中心としたヤマト政権が成立している。ヤマト政権は、血縁関係で作られたグループの集合体であった。その血縁…

4世紀の日本 古墳時代 ベールに包まれた日本 鉄を求めて朝鮮半島へ

中国は異民族の侵入などでさらに戦乱が激しくなる。そのため日本からの遣使の記録は見当たらない。そのため、この時代は「空白の4世紀」と呼ばれている。この時代に天皇を中心としたヤマト政権が成立したものと思われる。 この時代、中国の領地であった朝鮮…