いわゆる幕末は、この時代である。この激動な時代について書かれた本は多いのであっさりと進めさせて頂きます。
このとき、徳川幕府は、天皇に征夷大将軍の地位を返上し、江戸を無血開城した。これにより、明治新政府が樹立した。明治新政府は京都では、江戸城(現在の皇居)を引き続き政治の中心とし、江戸を東京と改称した。
当時の外交軍事の最大の課題は、近隣諸国が植民地化されていく中で、いかに独立を維持するかであった。とくに警戒していたのは、アロー戦争の仲介で中国か日本海沿岸のウラジオストクをえたロシアである。
そのため、ヨーロッパの制度は積極的に取り入れた。植民地化される危機感が清よりもはるかに大きかったことがのちの日清戦争に現れる。
このころになると、オランダはすでに小国になっており、アメリカは南北戦争の混乱で影響力を出せていない。フランスもメキシコ遠征の苦戦で東アジアにかまっていられなかった。東アジアの主導権は、イギリスとロシアで争う形になる。明治新政府は、ロシアを仮想敵国とし、薩摩(鹿児島)や長州(山口)と親交の深かったイギリスとともに進めていく。
ちなみに明治新政府の中心は以下の人たちは、薩長土肥と呼ばれ、以下の4藩が中心であった。鎌倉時代から続く名家で関ヶ原の戦いで敗れた島津家の薩摩藩(鹿児島県)、関ヶ原の戦いで西軍の総大将を務めた毛利家の長州藩(山口県)、関ヶ原の戦いで取り潰しになった長曾我部家の後を継いだ山内家の土佐藩(高知県)、そして、フェートン号事件で屈辱を味わった鍋島家の肥前藩(佐賀県)である。