アヘン戦争で勝利したイギリスとオホーツク海まで進出したロシアが54年ヨーロッパでクリミア戦争が勃発。その影響は東アジアまで波及した。そのため、両国は日本の開港を必要としていた。また、一方で、太平洋岸のカリフォルニアまで進出したアメリカも太平洋に拠点を求めていた。
この混乱期の前年(53年)、アメリカはペリーを日本に派遣。翌54年、鎖国下の日本と国交を樹立した。開国である。(日米和親条約)
その後日本は、以下の5か国と国交を結んだ
鎖国前から交易を行っていたオランダ、当時世界の覇権を握っていたイギリス、北海道をめぐって争っているロシア、そして、ナポレオン三世帝政下で海外侵略を繰り返していたフランスである。その後の日本の歴史はこれら5か国の影響を受けながら、進んでいく。
56年、クリミア戦争が終結すると、イギリス・フランスは清と戦争を開始(アロー戦争)、ロシアの仲介により清はイギリス、フランスと不平等条約を締結。ロシアもこれに追随した。その影響で、58年大老井伊直弼は通商の開始と不平等条約の締結を行った。(日米修好通商条約)