10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

16世紀のロシア イヴァン4世(雷帝) 皇帝になる。

 16世紀(1501年~1600ねん)、日本は戦国時代である。ヨーロッパでは大航海時代に入り、スペイン・ポルトガルの交易船が世界中を航海していた。

そのころ、ロシアはまだ東欧の小国であった。この時代、イヴァン4世の登場によりロシアは皇帝中心の国家建設を始めた。

 

47年 イヴァン4世(雷帝)即位

 ロシアではじめて戴冠式を実施。
 ビザンツ皇帝の正式な後継者
  ビザンツ帝国は1453年(94年ぶりの復活)に滅亡


外交 東へ領土拡大

 東(アジア方面)へ領土を拡大。イスラム圏への侵攻のため、ギリシア正教会は聖戦として強く支持した。
 55年イングランドと通商条約を締結。ただ、北極海にしか港をもっていないため、ほとんど交易はなかった。

内政 皇帝専制を強める。

 皇帝権力を強化するため、貴族を粛清
 常備軍を設置。
 貴族による議会の開設(全国議会)
 貴族に兵役の義務
 農民を土地に縛り付け、農奴制の基礎を築いた。

バルト海を求めて、リヴォニア戦争

 リヴォニアは、ドイツ騎士団の残党が治めるバルト海沿岸の国。
 53年、ロシアは、リヴォニアに侵攻。ロシア優位に戦争が進んだ
 しかし、南ロシアのクリミアで反乱の動きがあり一時休戦
 リヴォニアは、この休戦期間に立て直しに成功。ポーランドの支援も取り付けた。

 この戦争では、南進(黒海)への侵攻と北進(バルト海)への侵攻で国内が分裂。イヴァン4世は側近たちの信頼を失った。

 62年、スウェーデンが参戦。
 63年、スウェーデンと休戦。
 64年、ポーランドに大敗
 64年、南ロシアのクリミアで反乱。オスマン帝国が支援
 64年 イヴァン4世、退位を宣言

恐怖政治  貴族の粛清を行い

  65年 イヴァン4世、復位
     反皇帝派を粛清 → 恐怖政治
  
  イングランドエリザベス1世)と同盟交渉をおこなうも失敗

露土戦争

  68年 南ロシアのクリミアを支援するオスマン帝国と戦争

  70年 オスマン帝国と講和

  70年 ポーランド側に寝返る疑いで、ロシア北西部ノヴゴロドで大粛清

  82年 ローマ教皇の仲介で、ポーランドと和平が成立

シベリア征服事業

 77年から、コサックのイェルマークを中心にしシベリア征服を始めた。

イヴァン4世の死後

 84年、イヴァン4世が亡くなる。
 後継者は病弱のため、摂政が置かれ、貴族中心の政治が行われた。
 また、リヴォニア戦争の敗北でロシアは荒廃
 98年には、リューリク朝が断絶

周辺国の状況

イングランド、ロシアと交易を開始するもロシアを見捨てる。

 53年、メアリー1世 ローマ=カトリックを信仰
     プロテスタントの大粛清を実施
     この時代に、ロシアと通商条約を締結。

 58年、エリザベス1世即位
     イギリス正教会を信仰

 68年、オランダ独立戦争が始まる。
     このころイヴァン4世との同盟交渉が行われる。
     イギリスは、オランダとロシアを天秤にかけ、77年オランダとの同盟に踏み切った。


ポーランド

 ポーランドは、西スラヴ人の国でローマ=カトリックを信仰している。

 ドイツ騎士団との戦いのため、リトアニアと同君連合をとっている。

 16世紀は、ヤゲヴォ朝の全盛期であった。

 25年、ドイツ騎士団に勝利

 しかし、72年、ヤゲヴォ朝が断絶。選挙王制に移行する。

 ちなみに、この時代、天文学者コペルニクスが活躍した時代でもあった。

ドイツ騎士団

 12世紀ごろから始まった東方植民を行った人たち

 13世紀末に十字軍が終わると本格化した。

 東方植民は、ポーランドなど西スラヴ人から土地を奪っていった。

 しかし、25年、ポーランドに降伏。ポーランド宗主国としたプロイセン公国となる。

 

スウェーデンポーランドと結んでロシアを攻める。

15世紀、スウェーデンデンマークを盟主とするカルマル同盟に入っていた。16世紀に入ると、デンマークからの独立運動を開始。デンマークから独立。バーサ朝を開いた。

16世紀に、宗教改革がおこると、ルター派を保護。ルター派信者が次々と移住してきた。

 

オスマン帝国

20年 スレイマン1世の全盛期。
   フランスのフランソワ1世と同盟を結び
   神聖ローマ帝国のカール5世と戦う。(第1次ウィーン包囲など)

   このころ、南ロシア(クリミア)を支援

 66年、スレイマン1世、没

  レバント海戦の敗戦など、衰退期に入る。

 

 

このころ日本は

 

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