16世紀(1501年~1600ねん)、日本は戦国時代である。ヨーロッパでは大航海時代に入り、スペイン・ポルトガルの交易船が世界中を航海していた。
そのころ、ロシアはまだ東欧の小国であった。この時代、イヴァン4世の登場によりロシアは皇帝中心の国家建設を始めた。
47年 イヴァン4世(雷帝)即位
ロシアではじめて戴冠式を実施。
ビザンツ皇帝の正式な後継者
ビザンツ帝国は1453年(94年ぶりの復活)に滅亡
外交 東へ領土拡大
東(アジア方面)へ領土を拡大。イスラム圏への侵攻のため、ギリシア正教会は聖戦として強く支持した。
55年イングランドと通商条約を締結。ただ、北極海にしか港をもっていないため、ほとんど交易はなかった。
内政 皇帝専制を強める。
皇帝権力を強化するため、貴族を粛清
常備軍を設置。
貴族による議会の開設(全国議会)
貴族に兵役の義務
農民を土地に縛り付け、農奴制の基礎を築いた。
バルト海を求めて、リヴォニア戦争
リヴォニアは、ドイツ騎士団の残党が治めるバルト海沿岸の国。
53年、ロシアは、リヴォニアに侵攻。ロシア優位に戦争が進んだ
しかし、南ロシアのクリミアで反乱の動きがあり一時休戦
リヴォニアは、この休戦期間に立て直しに成功。ポーランドの支援も取り付けた。
この戦争では、南進(黒海)への侵攻と北進(バルト海)への侵攻で国内が分裂。イヴァン4世は側近たちの信頼を失った。
62年、スウェーデンが参戦。
63年、スウェーデンと休戦。
64年、ポーランドに大敗
64年、南ロシアのクリミアで反乱。オスマン帝国が支援
64年 イヴァン4世、退位を宣言
恐怖政治 貴族の粛清を行い
65年 イヴァン4世、復位
反皇帝派を粛清 → 恐怖政治
イングランド(エリザベス1世)と同盟交渉をおこなうも失敗
露土戦争
68年 南ロシアのクリミアを支援するオスマン帝国と戦争
70年 オスマン帝国と講和
70年 ポーランド側に寝返る疑いで、ロシア北西部ノヴゴロドで大粛清
シベリア征服事業
77年から、コサックのイェルマークを中心にしシベリア征服を始めた。
イヴァン4世の死後
84年、イヴァン4世が亡くなる。
後継者は病弱のため、摂政が置かれ、貴族中心の政治が行われた。
また、リヴォニア戦争の敗北でロシアは荒廃
98年には、リューリク朝が断絶
周辺国の状況
イングランド、ロシアと交易を開始するもロシアを見捨てる。
53年、メアリー1世 ローマ=カトリックを信仰
プロテスタントの大粛清を実施
この時代に、ロシアと通商条約を締結。
68年、オランダ独立戦争が始まる。
このころイヴァン4世との同盟交渉が行われる。
イギリスは、オランダとロシアを天秤にかけ、77年オランダとの同盟に踏み切った。
ポーランド
ポーランドは、西スラヴ人の国でローマ=カトリックを信仰している。
ドイツ騎士団との戦いのため、リトアニアと同君連合をとっている。
16世紀は、ヤゲヴォ朝の全盛期であった。
25年、ドイツ騎士団に勝利
しかし、72年、ヤゲヴォ朝が断絶。選挙王制に移行する。
ちなみに、この時代、天文学者コペルニクスが活躍した時代でもあった。
ドイツ騎士団
12世紀ごろから始まった東方植民を行った人たち
13世紀末に十字軍が終わると本格化した。
東方植民は、ポーランドなど西スラヴ人から土地を奪っていった。
しかし、25年、ポーランドに降伏。ポーランドを宗主国としたプロイセン公国となる。
スウェーデン、ポーランドと結んでロシアを攻める。
15世紀、スウェーデンはデンマークを盟主とするカルマル同盟に入っていた。16世紀に入ると、デンマークからの独立運動を開始。デンマークから独立。バーサ朝を開いた。
16世紀に、宗教改革がおこると、ルター派を保護。ルター派信者が次々と移住してきた。
オスマン帝国
20年 スレイマン1世の全盛期。
フランスのフランソワ1世と同盟を結び
神聖ローマ帝国のカール5世と戦う。(第1次ウィーン包囲など)
このころ、南ロシア(クリミア)を支援
66年、スレイマン1世、没
レバント海戦の敗戦など、衰退期に入る。
このころ日本は