10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-01-01から1年間の記事一覧

16世紀のインド ムガル帝国の建国とインド版織田信長ことアクバル帝

16世紀(1501年~)、日本は戦国時代の真っただ中にあった。16世紀後半になると織田信長や豊臣秀吉が活躍する。このころ、ヨーロッパは大航海時代に入った。 このころ、北インドにムガル帝国が成立。建国当初は、北インドの一小国であった。16世紀後半のアク…

1930年代のイギリス 世界恐慌とブロック経済

1930年代、世界各国は世界恐慌の対応に追われていた。このような中、台頭したのがナチスドイツである。このことが第2次世界大戦につながる。 このころ、イギリスは広大な植民地を持っていた。そのためこの広大な植民地を生かした保護貿易を行った。これがブ…

17世紀のインド アウラングゼーブ帝とイギリス・フランスの進出

17世紀、日本は江戸時代初期。鎖国に入り日本独特な文化が構築され始める時代である。このころ、アジアは4大帝国の時代に入った。東から、中国の清王朝、インドのムガル帝国、ペルシア(イラン)のサファヴィー朝、そしてトルコのオスマン帝国である。 イン…

1940年代前半のイギリス チャーチル首相と第二次世界大戦

1940年代前半の第二次世界大戦をイギリスの視点で見ていきましょう。 第二次世界大戦は、イギリス・アメリカを中心とした連合国。ドイツ・日本を中心とした枢軸国。そして、キャスティングボードを握ったソ連である。この3つの陣営の対立で構築される。第二…

18世紀のインド ムガル帝国と英仏植民地戦争

18世紀(1701年~)、日本は江戸時代後期。 このころ、インドはムガル帝国の時代。アウラングゼーブ帝が最大領土を得てから衰退期に入っていった。これにより、マラーター同盟などの地方政権が乱立した。一方で、ヨーロッパの植民地化がかなり進んだ。その中…

1940年代後半のイギリス アトリー労働党内閣 「ゆりかごから墓場まで」

1940年代後半、第二次世界大戦直後。イギリスはどのように立ち回ったのだろうか。 ベルリンが陥落した直後の総選挙で労働党政権が復活した。アトリー内閣である。アトリー内閣は社会主義型政策を進めていった。

1800年代のインド 東インド会社、第2次マラーター戦争でデリーを勢力圏に

1800年代、日本は江戸時代後期。江戸三大改革の一つ寛政の改革が行われていたころである。 このころ、インドでは第二次マラーター戦争が勃発。これにより、ムガル帝国はイギリスの保護国となった。

1950年代のイギリス チャーチル首相とスエズ戦争(第二次中東戦争)

1950年代、日本は朝鮮戦争特需で戦後復興を成し遂げた。GHQからの独立を果たしたのもこのころ。政治面では自民党と社会党の55年体制が確立した。 このころ、イギリスは第二次世界大戦を勝利に導いたチャーチル氏が再び党首になった。この後保守党政権が続く…

1810年代のインド 東インド会社の植民地拡大政策

1810年代、日本は江戸時代後期。徳川家斉の好景気の時代である。葛飾北斎などの浮世絵が描かれたのもこの時代である。 そのころ、世界ではナポレオン戦争が終結。ウィーン会議によって戦後秩序が作られた。

1960年代のイギリス イギリス病不況とアフリカの年

1960年代、日本は高度成長期にわいていた。東京オリンピックが開催されたのもこのころである。 このころ、イギリスは高福祉政策によって、不況に入っていた。1960年代~1970年代のイギリス病不況である。

1820年代のインド 産業革命で不況になるインド

1820年代、日本は江戸時代。徳川家斉の好景気沸いていた。 ヨーロッパも、ナポレオン戦争が終結し、つかの間の平和を享受していた。 そのころ、インドは不況に苦しんでいた。産業革命を果たしたイギリス産綿製品がインドの綿業界を壊滅させた。

1970年代のイギリス イギリス病不況がEC加盟に結び付く

1970年代、日本は高度成長期がおわり、低成長期に入った。これは日本だけでなくアメリカやヨーロッパでも起こっていた。 イギリスも例外ではなかった。しかし、イギリスは60年代から低成長期に入っていたこの60年から70年の低成長期をイギリス病という。70年…

1830年代のインド 東インド会社、第一次アフガン戦争

1830年代、江戸時代後期。化政バブルが終わり、寛政の大飢饉が発生したころである。 ヨーロッパでは、フランスで七月革命が発生。 インドでは、第一次アフガン戦争が勃発した。

1980年代のイギリス、「鉄の女」サッチャー首相とは?

1980年代、日本はバブル経済に向かってた。当時の中曽根首相は、JRやJTなどの国有企業の民営化政策を次々行った。また、ロンヤスに象徴されるほど日米関係は強硬なものであった。 その80年代、イギリスに女性首相が誕生した。保守党のサッチャー首相である。…

1840年代のインド 東インド会社、シク戦争に勝利しインド全域を支配下に

1840年代、日本は江戸時代。寛政の改革が行われ、隣国清王朝はアヘン戦争に敗戦したころである。 ヨーロッパでは、フランスの二月革命から始まる48年革命が勃発した。 インドでは、東インド会社は、シク戦争に勝利。インド全域を掌握した。

1980年代後半のイギリス サッチャー首相とベルリンの壁崩壊

1980年代後半、日本は平成時代が始まり、バブル経済が崩壊した。 このころ、ヨーロッパも大転換期を迎えていた。89年革命(東欧革命)である。東欧の社会主義国で次々革命が発生した。その象徴が、ベルリンの壁崩壊である。 イギリスでは、「鉄の女」と呼ば…

1850年代のインド インド大反乱によりムガル帝国は滅亡

1850年代、日本は幕末。ペリーが東京湾(江戸湾)に来航したころである。 インドも、この時期に大転換期を迎えていた。インド大反乱が発生。これによりムガル帝国は滅亡。東インド会社も解散され、イギリスのインド直接統治が始まる。

1990年代のイギリス ブラウン首相、EU加盟に揺れる

1990年代、日本は平成時代。バブル崩壊から始まる不況期に入っていった。 このころ、イギリスの首相は、保守党のブラウン首相が務めていった。

1860年代のインド ムガル帝国滅亡後のインド

1860年代、日本は江戸時代が終わり、明治新政府が成立した。

2000年代のイギリス ブレア首相とイラク戦争

2000年代は、9・11当時多発テロという悲劇的な事件で始まった。日本では小泉首相ブームで沸いていた。 そのころ、イギリスは、ブレア労働党政権下にあった。ブレア首相は積極的にアメリカを支援した。 ブレア首相を引き継いだのは、ブラウン首相である。しか…

1870年代のインド インド帝国の成立

1870年代、日本でいえば明治時代の初頭である。 このころ、インドはイギリスの植民地であった。このとき、ヴィクトリア女王がインド帝国の皇帝を兼任。インド帝国が成立した。 このころ、イギリスは、スエズ運河の買収に成功。また、第2次アフガン戦争が勃発…

2010年代のイギリス(UK) EU離脱問題(ブレグジット)

今回から、イギリス史編を始めます。 現在、2010年代のイギリスは大きな問題を抱えている。EU離脱問題である。 今回は、EU離脱問題を通して、現在のイギリスの状況を解説していきます。

1880年代のインド イギリス領インド インドに議会ができる。

1880年代、日本は明治時代。国会が開設されたころである。 このころ、インドはイギリスの植民地であった。このころインドにも議会が成立した。インド国民会議である。また、東南アジアでは第三次ビルマ戦争が勃発した。

4世紀のロシア ビザンツ帝国 コンスタンティノープル遷都

4世紀、日本は古墳時代である。 このころの東欧ビザンツ帝国は、ローマ帝国であった。4世紀、ローマ帝国はコンスタンティノープルに遷都。そして、東西に分裂した。今回は、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルの登場とビザンツ帝国の前身東ローマ帝国…

1890年代のインド イギリス領インド 大英帝国の植民地政策

1890年代、明治時代。日本が日清戦争に勝利したころである。 このころのインドは、イギリスの植民地であった。当時のイギリスは世界最大の植民地を保っていた。今回は、イギリスの植民地政策をみながら当時のインドの様子を見ていきましょう。

5世紀のロシア ビザンツ帝国 西ローマ帝国の滅亡

5世紀、日本は古墳時代である。 4世紀末、ローマ帝国は東西に分裂した。ビザンツ帝国の前身東ローマ帝国の誕生である。東ローマ帝国は、ササン朝ペルシアと戦いながら東地中海を統治し続けた。 一方、西ローマ帝国はまもなく滅亡。西ヨーロッパはゲルマン民…

1900年代のインド イギリス領インド ベンガル分割令で国民会議派が反英的に

1900年代、日本は日露戦争の勝利に沸いていた。 当時のインドは、イギリスの植民地であった。このころから、インドは自治を求めるようになった。そのきっかけは、日露戦争とベンガル分割令であった。

6世紀のロシア ビザンツ帝国 ユスティアヌス帝の地中海再統一

6世紀(501年~)、日本は飛鳥時代。仏教が日本に伝わったころである。 このころ、東欧のビザンツ帝国はユスティアヌス帝が地中海を再統一していた。 ビザンツ帝国は、4世紀に分裂したローマ帝国の東側に当たる。5世紀に西ローマ帝国は滅亡、ゲルマン民族の…

1910年代のインド イギリス領インド 第一次世界大戦と19年インド統治法

1910年代、日本は大正時代。第一次世界大戦に勝利。大戦景気に沸き、国際連盟では五大国の仲間入りを果たした。 当時、インドはイギリス領インド帝国としてイギリスの植民地であった。インドも第一次世界大戦で宗主国のイギリスを支援して戦勝国となった。し…

7世紀のロシア ビザンツ帝国 イスラム教の脅威

7世紀、日本は飛鳥時代。中大兄皇子が大化の改新を行ったころである。 このころ、東欧のビザンツ帝国は、バルカン半島と小アジアのみを支配していた。周辺には異民族がビザンツ帝国の領土を狙っていた。そして、7世紀に新たな脅威があらわれたイスラム教徒と…