10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

2000年代のイギリス ブレア首相とイラク戦争

 2000年代は、9・11当時多発テロという悲劇的な事件で始まった。日本では小泉首相ブームで沸いていた。

 そのころ、イギリスは、ブレア労働党政権下にあった。ブレア首相は積極的にアメリカを支援した。

 ブレア首相を引き継いだのは、ブラウン首相である。しかし、リーマンショックなどの景気悪化で、保守党のキャメロン首相に政権をあけわたした。

 

 前回の復習 2010年代のイギリス

現在のイギリスの首相は、保守党のジョンソン氏である。現在のイギリスの最大の課題はEU離脱問題である。

今回の後半で、なぜ2010年に保守党政権が樹立したのか、イギリスがEU離脱に動いたのかを見ていきます。

 

労働党のブレア首相、親米政策をとる。

9・11テロ

 01年9月11日、アメリカで同時多発テロが発生。ここからテロとの戦いの時代が始まった。テロの主導者はアルカーイダである。
 ブッシュ大統領は、すぐさまテロとの戦いを始めた。アルカーイダをかくまっていると思われる国を次々攻撃した。これは、国際的な批判を浴びた。しかし、イギリスのブレア首相はブッシュ大統領を支持した。他にこれを支持した政治家として日本の小泉首相が挙げられる。

アルカーイダとは

 イスラムスンニ派のテロ組織である。そのリーダーはウサーマ・ビン=ラディン氏である。莫大な財力を用いて、反米組織を作った。

 その起源は、70年代のソ連アフガニスタン侵攻である。ウサーマ・ビン=ラディン氏は、同じイスラム教国のアフガンニスタン防衛のため、アフガニスタンに向かった。この時は、アメリカは、ウサーマ・ビン=ラディン氏を支援した。

 反米に変ったのは、90年代の湾岸戦争である。この時のサウジアラビアの親米的な態度にウサーマ・ビン=ラディン氏らは憤慨。これが原因でテロ行為を行うようになった。

アフガニスタン紛争

 01年09月、アメリカのブッシュ大統領は、9・11テロの直後、犯人をアルカーイダと断定。アフガニスタンタリバン政権に対し、アルカーイダのトップ、ウサーマ・ビン=ラディン氏の引き渡しを要求した。しかし、タリバン政権はこれを拒否した。翌月の10月、ブッシュ大統領は、集団的自衛権を行使し、NATO軍によるアフガニスタン攻撃を開始した。

 タリバン政権を崩壊させたが、ウサーマ・ビン=ラディン氏を捕まえることができなかった。ウサーマ・ビン=ラディン氏は11年にパキスタンの山中でアメリカ軍により殺害された。

 当時、アフガニスタンは内戦状態にあった。そのような中で、タリバンアフガニスタンの9割を実効支配していた。01年02月、バーミヤンの石仏を破壊したことで国際的に非難を浴びていた。

イラク戦争

 9・11テロの翌年02年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行った。その時に上がったのが、中東のイラクとイラン、極東の北朝鮮であった。

 03年、アメリカのブッシュ大統領は、大量破壊兵器の保持の疑いで、イラクフセイン政権を攻撃した。この戦争については一枚岩にはなれなかった。フランス、中国、ロシアはこの戦争に反対を表明した。ブッシュ大統領は、NATO軍を使うことができず、アメリカ、イギリスなどの有志連合による攻撃になった。

 
ロンドン同時爆破テロ

 05年07月、ロンドンで同時爆破テロが発生。のちに、イスラム原理主義アルカイダが犯行声明を出した。当時、イギリスではサミットが開催されていた。アルカイダは親米的な態度をとるブレア首相を失脚させようとこれを仕掛けた。

反テロ法

 ブレア首相は、国民IDカード法などの反テロ法を成立させた。これは安全保障上、有益な政策である一方、国家が国民を監視する法律でもあった。

 06年反テロ法では、一部の労働党議員が反対に回ったため、否決された。

 

07年 労働党ブラウン首相、リーマンショック政権交代

 05年05月の総選挙で、労働党過半数を維持したものの大きく議席を減らした。その要因は、2つある。アフガニスタン戦争やイラク戦争への批判。野党保守党の党首にキャメロン氏が擁立されたことである。
 06年夏に、ブレア首相は退陣を表明。07年06月、ブラウン労働党政権が樹立した。
 08年に入ると、政治スキャンダル、リーマンショックなどの経済情勢の悪化、北京オリンピックを発端とするチベットの問題への対応で、大きく支持率を落とした。
 10年の総選挙で、過半数を失い、保守党のキャメロン首相に政権を譲り渡した。


リーマンショック

 リーマンショックとは、アメリカの投資銀行リーマンブラザーズの経営破綻をきっかけとした金融不況である。

 これは、本質的には日本のバブル崩壊とほぼ同じ仕組みである。

 00年代半ば、アメリカはITバブルの崩壊で不況下にあった。そのため、アメリカは低金利政策を進めた。この低金利で多くの資金が不動産に流れた。

 これに拍車をかけたのがサブプライムローンである。サブプライムローンとは、不動産を担保に低所得者に融資する高金利の住宅ローンである。サブプライムローンは、不動産を担保にしている安心感と高金利で多くの投資家に売れた。その取扱いをおこなったのがリーマンブラザーズなどの投資銀行であった。

 しかし、低所得者が返済できなくなると、債務不履行が続出。それに伴い担保となる不動産の投げ売りが始まった。これにより不動産価格が暴落した。サブプライムローンは瞬く間に紙くずになった。それにともない他の金融商品の投げ売りが始まった。これにより、リーマンブラザーズは経営破綻に陥った。

 

 

イギリスの政治の仕組み

 イギリスは、日本と同じ議院内閣制をとっている。すなわち、首相は選挙ではなく国会が決定する。アメリカやフランスのような大統領選挙は行われない。そのため、国会で過半数をとった政党のトップが首相になる。

 国会は、二院制がとられれている。選挙で選ばれる庶民院と貴族による貴族院で構成されている。しかし、首相は庶民院が決議する。庶民院の選挙は完全小選挙区制をとられていて、日本のような比例代表による復活当選制度はない。大政党に有利な選挙制度になっている。

 現在のイギリスの主な政党は、保守党と労働党である。現在は保守党政権の時代である。

労働党

 都市労働者の待遇改善を目的として成立した政党である。そのため、社会保障の充実が主な政策である。

保守党

 現在の与党である。富裕層をターゲットにしている。

 かなり富裕層によった政策であったため、00年代壊滅の危機まであった。しかし、キャメロン党首のカリスマ性や労働党の支持率低下により、10年の総選挙で政権に返り咲いた。10年代は財政健全下にむけて、膨大な社会保障費の削減に取り組んでいる。

 

このころの日本は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 このころの中東情勢は

 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 隣国フランスは

 

sekaishiotaku.hatenablog.com