10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1800年代のインド 東インド会社、第2次マラーター戦争でデリーを勢力圏に

 1800年代、日本は江戸時代後期。江戸三大改革の一つ寛政の改革が行われていたころである。

 このころ、インドでは第二次マラーター戦争が勃発。これにより、ムガル帝国はイギリスの保護国となった。

 

 前回の復習 1810年代のインド

 イギリス東インド会社は、インドでの交易の独占権を失った。一方で、マラーター戦争に勝利するなど各地に植民地を拡大。ほぼインド全域の植民地を勢力下に置いた。

1800年代のヨーロッパ フランス皇帝ナポレオン登場

 フランス革命は1799年ナポレオンのクーデターで終了した。この後、ヨーロッパはナポレオン戦争が始まる。ナポレオンと率いるフランスはヨーロッパの大部分を支配した。

そのころイギリスは

イギリスもナポレオン戦争に巻き込まれていた。当時のイギリス首相はピットであり、ピットはナポレオンの侵攻を止めていた。このころ、オランダがフランスの支配下になった。その動乱に乗じて、日本の長崎でも暴れまわった。

第2次マラーター戦争

 マラーター同盟は、インド中部のデカン高原にあるヒンドゥー教徒の勢力である。1810年代の第3次マラーター戦争でイギリス東インド会社に屈服した。

 このころ、イギリス本国は、ナポレオン戦争に集中するため、東インド会社の植民地拡大戦争に消極的であった。しかし、イギリス東インド会社が領土拡大に努めた。この頃、マラーター同盟は多くの諸侯の国に分裂した。イギリス東インド会社は、各諸侯に圧力をかけて藩王国にした。藩王国とは、旧来の支配層に支配権や徴税権を認める一方で、外交と軍事はイギリス東インド会社が担った。これにより、デカン高原全域にイギリス東インド軍が駐屯するようになる。

東インド会社、デリーを勢力圏に

 デリーとは、北インドにあるムガル帝国の都である。ムガル帝国は16世紀からインドを支配下大帝国である。清王朝サファヴィー朝ペルシア、オスマン帝国と並ぶ14世紀のアジア4大帝国の一つである。

 しかし、ムガル帝国は18世紀に衰退した。皇帝は名ばかりの存在となり、デリー周辺を治める弱小諸侯になっていた。ムガル帝国を支えのはマラーター同盟の諸侯国の一つであった。しかし、第2次マラーター戦争でイギリス東インド会社藩王国となった。これにより、ムガル帝国もイギリス東インド会社保護国となった。

この頃の日本は

 

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 ヨーロッパに震撼を与えたナポレオン

 

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