10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

紀元前6世紀以前の中国 神話から孔子が生まれるまでの中国の歴史

漢代の歴史書『史記』によると、三皇五帝の時代で中国の歴史が始まったとされる。三皇五帝とは、中国の建国神話で、3人の神と5人の天子で中国が始まったとされる。その後、最初の王朝、夏王朝が成立されたとされる。夏王朝は、三皇五帝の最後の天子から禅譲…

1800年代のフランス ナポレオン、ローマ教皇より戴冠を受け、ピット率いるイギリス海軍と戦う。

1799年、ナポレオンのクーデターでフランス革命は終結した。イギリス、オーストリアと講和が成立すると02年終身統領になる。フランス革命の総決算としてナポレオン民法典をまとめる。しかし、04年、ローマ教皇から戴冠を受けるとイギリスのピットを中心に第…

紀元前5世紀の中国 春秋戦国の戦乱期 戦国時代の始まりと儒教の祖である孔子が生きた世界

紀元前5世紀、春秋時代から戦国時代に変る。この時代になると周王朝の権威はほとんどなく、実力主義の時代になった。この時代、諸子百家が誕生した。その中に孔子がはじめた儒教(当時は儒学)もあった。

1810年代のフランス 第一帝政 ナポレオンの没落とウィーン会議

1810年代に入ると、ナポレオン帝政にも陰りが見え始める。12年のロシア遠征失敗である。14年にパリ陥落。ナポレオンは退位した。18世以降戦争が終われば講和会議が行われる。ナポレオン戦争では、ウィーン会議である。ナポレオン戦争とウィーン講和会議で、…

紀元前4世紀の中国 春秋戦国の戦乱期 戦国七雄の富国強兵と諸子百家の台頭

4世紀の中国は、周王朝は存在していたが有名無実化していた。この時代は秦など戦国七雄による戦乱期であった。各国は諸子百家など実力者を採用し、経済を活性化して軍事力強化を図った。この政策を富国強兵という。

1820年代のフランス シャルル10世の反動政治とギリシャ独立戦争

ウィーン体制によって、ブルボン朝は復活した。しかし、絶対王政に戻ることはできず、イギリスと同じ立憲君主制となった。また、参政権を得たのは大資本家のみでほとんどの国民は選挙権を得られなかった。24年シャルル10世が即位すると貴族向けの反動政治を…

紀元前3世紀の中国 秦王朝 中華最初の皇帝 始皇帝の中華統一と

紀元前7世紀から400年にわたった春秋・戦国の戦乱は、秦の始皇帝の中華統一によって幕を閉じた。しかし、始皇帝の急激な改革は、中華人民の信頼を得られなかった。そのため、秦王朝は統一後わずか15年の短命で終わった。しかし、始皇帝の政策は、漢王朝の基…

1830年代のフランス 七月王政 アルジェリア出兵と富裕層中心の七月王政

1830年、シャルル10世は北アフリカのアルジェリアに出兵。同じころ、議会選挙で反王政派が大勝。シャルル10世は、これに対し議会を解散。これをきっかけに七月革命がおこる。 反王政は、新国王ルイ=フィリップを擁立。七月王政が始まる。制限選挙の影響で大…

紀元前2世紀の中国 漢王朝 漢王朝の成立と武帝の全盛期

紀元前3世紀末、漢王朝が成立した。紀元前2世紀以降、漢王朝とローマ帝国という2大帝国が成立した。しかし、建国当初の漢王朝は絶対的な権力はなかった。しかし、呉楚七国の乱や武帝の海外遠征で強い皇帝権を確立していった。

1840年代のフランス 七月王政 二月革命(48年革命)とナポレオン三世の登場

七月王政下のフランスは、立憲君主性になっていた。しかし、選挙権は貴族と少数の富裕層に限られた。そのため、都市労働者や産業資本家(中小企業の社長)は不満を持っていた。46年に凶作と不況が起こるとこれが爆発。48年二月革命が勃発。七月王政が倒れ、…

1850年代のフランス 第二帝政 ナポレオン三世の栄光 と クリミア戦争

48年の2月革命で大統領になったナポレオン三世は、52年国民投票により皇帝になった。ナポレオン三世、農民、資本家、労働者の利害の異なる勢力に支えられていた。英仏通商条約を締結し、自由貿易と国内産業育成に努めた。エジプトでスエズ運河の建設を始める…

紀元前1世紀の中国 漢王朝 武帝の財政改革

漢皇帝の武帝は、積極的な対外戦争や大量の役人採用によって財政難に陥った。 このころになると、重税や労役(対外戦争など)によって逃亡する農民が多くなった。彼らは、広大な土地を買い占めた豪族のもとで小作人として働くようになる。逃亡農民が増えると…

1世紀の中国 漢王朝 光武帝の治世

紀元後8年、外戚がクーデターを行うが、あまりにも実態に合わない急激な政治改革を行ったが失敗に終わる。この時代に中国の人口は半減し、2千万人となった。 紀元後25年、このクーデターを治めた光武帝が即位する。都は、かつての周王朝の都洛陽に移した。そ…

1860年代のフランス 第二帝政 ナポレオン三世の失政 海外遠征の失敗と普仏戦争の敗北

1860年代のフランス ナポレオン三世は、国内産業支援を進める一方、対外戦争に積極的に参加した。67年に万国博覧会を開催している。 しかし、このころになるとナポレオン三世の栄光に陰りが見え始める。メキシコ遠征に失敗。ベトナム遠征には成功しているも…

2世紀の中国 漢王朝 漢王朝の衰退

豪族と皇帝側近の役人(宦官)、后の一族(外戚)との権力闘争はまだ続いていた。このころ、製紙技術が発達して、それまで竹に書かれていた文書が紙で書かれるようになる。このころベトナムにヨーロッパ(ローマ帝国)の使者が来る。そのような中で、184年宗…

1870年代のフランス 第三共和制 普仏戦争とパリコミューン、露土戦争とビスマルク宰相

日本では、明治新政府による近代化政策をすすめる1970年代。 フランスでは、普仏戦争の敗戦で、ナポレオン三世が失脚。第三共和制が始まる。当初は、ボルドー臨時政府(産業資本家など)とパリコミューン(パリ市民)が対立。最終的には、パリコミューンは武…

3世紀の中国 魏晋南北朝時代 三国志の時代、曹操が作った政治システム

3世紀は、三国志の時代である。劉備や関羽、諸葛亮孔明が活躍したのがこの時代である。しかし、世界史的に重要なのは、曹操の画期的政策である。九品中正は6世紀聖徳太子の官位十二階につながる。なお、この時代に邪馬台国の卑弥呼は魏王朝に使いを送ってい…

1880年代のフランス 第三共和制 ベトナムとアルジェリアを中心に植民地拡大をすすめる。

日本では、明治政府が国会が開設に尽力していた1880年代。フランスは、70年代の不況をうけて、植民地拡大を進めていた。アジアでは、清王朝に勝利し、ベトナムを植民地化。アフリカでは、エジプトでの影響力を失い、アルジェリアを拠点に進めていくことにな…

4世紀の中国 魏晋南北朝の戦乱期 北は北方騎馬民族の短命王朝が続き、南朝では、晋王朝に多くの門閥貴族が避難

晋の統一で再び平和が訪れると思われた中国は、後継者争いで再び戦乱の世に戻った。華北では、五胡(ごこ)と呼ばれる異民族が交代で王朝を作った。一方で、江南では、晋王朝が遷都。多くの門閥貴族が避難した。このような戦乱期であったため、この時代の日…

1890年代のフランス 第三共和政 ドレフュス事件とアジアアフリカの植民地化。

1880年代からはじまった植民地獲得競争は、90年代に入るとドイツが本格参戦を始めた。そのような中、フランスは、アフリカではアルジェリアを、アジアではベトナムを拠点に進められた。アフリカでは、アフリカ横断政策をすすめる。アジアでは、清王朝が日清…