10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1920年代のペルシア レザー=ハン、パフレヴィー朝皇帝に

 

 1920年代、第一次世界大戦が終わり、世界は平和を享受していた。特にアメリカが空前の好景気を迎えていた。一方、日本では、関東大震災を皮切りに長期不況が始まる。

 そのころのイランは、カジャール朝が風前の灯のような状況であった。

 

第一次世界大戦後のイラン

  第一次世界大戦終結。イギリスは、エジプトから、イラク・イランを経由してインドへ続く道を獲得した。一方で、イランの北では、社会主義勢力ソ連が存在。イラクに脅威を与えた。

 当時のイランは、イギリスが全土を占領し、カジャール朝の権威はほとんどなく無政府状態にあった。また、ロシア革命の影響で、北部では社会主義勢力が活動。イギリス軍は、ソ連干渉戦争を続けていた。

21年 レザー=ハンのクーデター パフレヴィー朝の成立

 21年、レザー=ハンがテヘランで軍事クーデターを起こす。24年 国民議会で、カジャール朝停止を決議。翌25年 レザー=ハン国王が即位。
 政治の非宗教化、中央集権化(国民銀行創設、徴兵制導入)を進めた。

ハーシム家イラク国王に

 19年、ハーシム家四男、ファイサルがシリアの独立。ハーシム家次男アブドゥッラーがイランの独立を宣言。しかし、第一次世界大戦戦勝国イギリス・フランスは容認せず。カフカス地方は、独立を容認。イギリスは、イラク・ヨルダン・イスラエルを、フランスはシリアを統治した。

 

 

次回予告

「1910年代のイラン  カジャール朝 第一次世界大戦とイギリスロシアの分割統治」

 

このころの日本は 

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このころのヨーロッパは 

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このころの中国は 

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