1920年代のペルシア レザー=ハン、パフレヴィー朝皇帝に
1920年代、第一次世界大戦が終わり、世界は平和を享受していた。特にアメリカが空前の好景気を迎えていた。一方、日本では、関東大震災を皮切りに長期不況が始まる。
そのころのイランは、カジャール朝が風前の灯のような状況であった。
第一次世界大戦後のイラン
第一次世界大戦が終結。イギリスは、エジプトから、イラク・イランを経由してインドへ続く道を獲得した。一方で、イランの北では、社会主義勢力ソ連が存在。イラクに脅威を与えた。
当時のイランは、イギリスが全土を占領し、カジャール朝の権威はほとんどなく無政府状態にあった。また、ロシア革命の影響で、北部では社会主義勢力が活動。イギリス軍は、ソ連干渉戦争を続けていた。
21年 レザー=ハンのクーデター パフレヴィー朝の成立
21年、レザー=ハンがテヘランで軍事クーデターを起こす。24年 国民議会で、カジャール朝停止を決議。翌25年 レザー=ハン国王が即位。
政治の非宗教化、中央集権化(国民銀行創設、徴兵制導入)を進めた。
ハーシム家、イラク国王に
19年、ハーシム家四男、ファイサルがシリアの独立。ハーシム家次男アブドゥッラーがイランの独立を宣言。しかし、第一次世界大戦の戦勝国イギリス・フランスは容認せず。カフカス地方は、独立を容認。イギリスは、イラク・ヨルダン・イスラエルを、フランスはシリアを統治した。
次回予告
「1910年代のイラン カジャール朝 第一次世界大戦とイギリスロシアの分割統治」
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は