10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

6世紀のフランス メロヴィング朝 ユスティアヌス帝の地中海再統一

 5世紀、日本では仏教が伝わり、聖徳太子が摂政になった。
 このころのフランスなどの西ヨーロッパは、西ローマ帝国が崩壊。ゲルマン民族の国が乱立した戦乱期であった。そのような中、ビザンツ帝国(かつての東ローマ帝国)に英雄が現れる。ユスティアヌス帝である。

 

ユスティアヌス帝の地中海再統一 

27年 ビザンツ帝国(トルコ・バルカン) ユスティニアヌス帝即位

29年 アテネのアカメディアを閉鎖
   キリスト教を重視する政策
    ユダヤ教の迫害、異端(単性論)の弾圧
   アテネの多くの学者がペルシアへ

31年 ササン朝ペルシアのホスロー1世と休戦条約    

32年 ハギア=ソフィア聖堂(コンスタンチノーブル)、建立
    ビザンツ様式の代表作
    ビザンツ様式
     ドームとモザイク画が特徴

34年 『ローマ法大全』完成
    現代ヨーロッパ法典の基礎になる。

34年 北アフリカのヴァンダル人を滅亡
55年 イタリア北東部のラヴェンナ東ゴート王国を滅亡
   ランゴバルド族が支援
   ラヴェンナ総督府を置く
   ラヴェンナにサン=ヴィターレ聖堂(ビザンツ様式)を建立 
81年 ササン朝ペルシアとの戦争が再開
84年 スペインの西ゴート王国に侵入
   バルカン半島に異民族の侵入

 

ビザンツ帝国とは

 395年ローマ帝国が東西分裂した際の東ローマ帝国
 首都はコンスタンチノーブル
  現在のトルコのイスタンブール
 バルカン半島ドナウ川の南)、トルコ、シリア、エジプトなど
  地中海の東側を支配していた。
 1453年 オスマン帝国によって滅ぼされる。

フランク王国 によるヨーロッパ統一

フランク王国は、アタナシウス派のクローヴィスが統治していた。

07年 フランク国王クローヴィス、西ゴート王国に勝利
   アキテーヌなど、南フランスを占領
   今のフランスとスペインの国境がピレネー山脈に確定する。

08年 フランク国王クローヴィス、ビザンツ皇帝より戴冠を受ける。
   当時のビザンツ皇帝はキリスト教の最高権威である。
    ※ ローマ教皇ビザンツ皇帝の関係は良好

11年 フランク国王クローヴィス 没。
   この後、分割相続により国王の権威は次第に衰退していく。

53年 フランク王国、中部フランスのブルクント王国を併合
    ブルクント王国は、ブルゴーニュ公国として存続。
     →14世紀の百年戦争期にイングランドを支援したことで有名

イタリアでは、ランゴバルド王国が成立

イタリアは、西ローマ帝国が滅亡。東ゴート王国が統治していた。首都はローマではなく、東側のラヴェンナであった。

55年 ビザンツ帝国(バルカン・トルコ)が東ゴート王国を滅亡。
    ランゴバルド族が支援

68年 イタリア、ランゴバルド王国が、ビザンツ帝国から独立
    イタリア北部(内陸部)のミラノ周辺に建国
    のちに、この地域はロンバルディアと呼ばれる。
    これで、第一次民族大移動が終わる。

ローマ=カトリックが台頭

90年 ローマ教皇グレゴリウス1世を即位

   ベネディクト派
   首位権をめぐり、コンスタンチノーブル教会(ビザンツ帝国)と対立
   ゲルマン人への布教に尽力

   ビザンツ帝国と対立するランゴバルド族が支援
    しかし、ランゴバルド族はアリウス派を信仰
    両者は後に対立。

97年 イングランドカトリックの布教が始まる

ベネディクト派とは

 イタリア中部のモンテ=カシノ修道院修道院運動を推進していた人たち

 29年 イタリア中部の山中にモンテ=カシノ修道院を設立
  修道院運動が盛んになる。

 10世紀 クリュニー修道院(フランス ブルターニュ
 12世紀 シトー派修道院(フランス中部)

次回予告

「5世紀のフランス 西ローマ帝国の滅亡とフランク王国の成立」

このころの日本は 

sekaishiotaku.hatenablog.com

 

このころの中国は 

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