6世紀のフランス メロヴィング朝 ユスティアヌス帝の地中海再統一
5世紀、日本では仏教が伝わり、聖徳太子が摂政になった。
このころのフランスなどの西ヨーロッパは、西ローマ帝国が崩壊。ゲルマン民族の国が乱立した戦乱期であった。そのような中、ビザンツ帝国(かつての東ローマ帝国)に英雄が現れる。ユスティアヌス帝である。
ユスティアヌス帝の地中海再統一
27年 ビザンツ帝国(トルコ・バルカン) ユスティニアヌス帝即位
29年 アテネのアカメディアを閉鎖
キリスト教を重視する政策
ユダヤ教の迫害、異端(単性論)の弾圧
アテネの多くの学者がペルシアへ
31年 ササン朝ペルシアのホスロー1世と休戦条約
32年 ハギア=ソフィア聖堂(コンスタンチノーブル)、建立
ビザンツ様式の代表作
ビザンツ様式
ドームとモザイク画が特徴
34年 『ローマ法大全』完成
現代ヨーロッパ法典の基礎になる。
34年 北アフリカのヴァンダル人を滅亡
55年 イタリア北東部のラヴェンナの東ゴート王国を滅亡
ランゴバルド族が支援
ラヴェンナに総督府を置く
ラヴェンナにサン=ヴィターレ聖堂(ビザンツ様式)を建立
81年 ササン朝ペルシアとの戦争が再開
84年 スペインの西ゴート王国に侵入
バルカン半島に異民族の侵入
ビザンツ帝国とは
395年ローマ帝国が東西分裂した際の東ローマ帝国
首都はコンスタンチノーブル
現在のトルコのイスタンブール
バルカン半島(ドナウ川の南)、トルコ、シリア、エジプトなど
地中海の東側を支配していた。
1453年 オスマン帝国によって滅ぼされる。
フランク王国 によるヨーロッパ統一
フランク王国は、アタナシウス派のクローヴィスが統治していた。
07年 フランク国王クローヴィス、西ゴート王国に勝利
アキテーヌなど、南フランスを占領
今のフランスとスペインの国境がピレネー山脈に確定する。
08年 フランク国王クローヴィス、ビザンツ皇帝より戴冠を受ける。
当時のビザンツ皇帝はキリスト教の最高権威である。
※ ローマ教皇とビザンツ皇帝の関係は良好
11年 フランク国王クローヴィス 没。
この後、分割相続により国王の権威は次第に衰退していく。
53年 フランク王国、中部フランスのブルクント王国を併合
ブルクント王国は、ブルゴーニュ公国として存続。
→14世紀の百年戦争期にイングランドを支援したことで有名
イタリアでは、ランゴバルド王国が成立
イタリアは、西ローマ帝国が滅亡。東ゴート王国が統治していた。首都はローマではなく、東側のラヴェンナであった。
55年 ビザンツ帝国(バルカン・トルコ)が東ゴート王国を滅亡。
ランゴバルド族が支援
68年 イタリア、ランゴバルド王国が、ビザンツ帝国から独立
イタリア北部(内陸部)のミラノ周辺に建国
のちに、この地域はロンバルディアと呼ばれる。
これで、第一次民族大移動が終わる。
ローマ=カトリックが台頭
ベネディクト派
首位権をめぐり、コンスタンチノーブル教会(ビザンツ帝国)と対立
ゲルマン人への布教に尽力
ビザンツ帝国と対立するランゴバルド族が支援
しかし、ランゴバルド族はアリウス派を信仰
両者は後に対立。
ベネディクト派とは
イタリア中部のモンテ=カシノ修道院で修道院運動を推進していた人たち
29年 イタリア中部の山中にモンテ=カシノ修道院を設立
修道院運動が盛んになる。
10世紀 クリュニー修道院(フランス ブルターニュ)
12世紀 シトー派修道院(フランス中部)
次回予告
「5世紀のフランス 西ローマ帝国の滅亡とフランク王国の成立」
このころの日本は
このころの中国は