10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1930年代のイラン パフレヴィー朝 イラン版明治維新を進めるレザー=ハン皇帝

1930年代、世界は世界大恐慌で停滞していた。そのような中台頭したのがナチスドイツである。

 当時の中東は、アラブ民族主義が台頭していた。その背景には、宗主国イギリスの停滞があった。当時のイギリスは、世界大恐慌ナチスドイツの台頭に悩んでいた。

 

 

イラン イラン版明治維新を進めるレザー=ハン皇帝

イランでは、パフレヴィー朝が成立していた。
レザー=ハンは、近代化政策を進めていた。38年にはイラン縦貫鉄道を完成させた。

35年、国名をペルシアからイランに変更。イスラム色を払しょくするため、「アーリア人」を意味する「イラン」を採用した。
一方で、36年チャードル禁止令(チャードルとはイスラム教の女性が顔にまとう布)の禁止令を出し、反イスラム色を強めるとともに、女性解放を進めた。
この結果、近代化が進み、国力は増強した。しかし、皇帝独裁やイスラム教の軽視、急激な西洋化は、多くの反発を招いた。

イラク 親英派と反英派の対立が始まる。

 イラクは、第一次世界大戦オスマン帝国から独立。スンナ派ハーシム家ファイサル1世が国王をつとめていた。しかし、イギリスのに委任統治下にあった。1927年油田が発見。好景気に沸いていた。
 30年、イギリス・イラク条約を締結。ナチスドイツとの国交断絶とイラク王国の独立が決定された。32年10月、イラク王国がイギリスから独立。国際連盟にも加盟した。
 33年12月、ファイサル1世が没し、息子のガージー1世が即位した。ガージー1世はファイサル1世と違い、アラブ民族主義者でイギリス支配に反発していた。
 39年、ガージー1世が事故死。息子のファイサル2世が即位した。まだ4才であり親英派が摂政についた。親英派と反英派の対立が始まる。

サウジアラビアの建国 サウード家ハーシム家

 ハーシム家とは、ムハンマドを祖とするアラブ人の名門の一つである。1920年代、サウード家との戦いに敗れ、メッカ・リヤドから追われる。イギリスの支援の下、イラクとヨルダンの国王になる。イラクは、その後共和制へ移行した。しかし、ヨルダンは、現在もヨルダン王国としてハーシム家の統治が続いている。

 一方、ハーシム家を追放したサウード家は32年、サウジアラビア王国を建国。現在も中東の強国としての地位を維持している。

アフガニスタン、王政を回復

 29年、ナーディル国王がイギリスの支援を受けて王政を回復。33年、その息子のザーヒル国王が即位。ソ連、フランスなどと国交を樹立。34年09月国際連盟に加盟した。39年、第二次世界大戦が勃発すると中立の立場をとった。

次回予告

1920年代のイラン パフレヴィー朝」

お楽しみに

このころの日本は

 

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