10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1960年代のイラン パフレヴィー朝 イラン、皇帝による西洋化政策(白色革命)

1960年代、東京はオリンピックで盛り上がっていた。 

そのころ、イランではパフレヴィー2世の改革を進めた。これにより経済力が付いた一方で、格差は拡大。また、反イスラム的な政策により、一部の国民から不満が高まった。

このころ、OPECが設立。60年のアフリカの都市と相まって多く石油産出国が独立。産油国の発言力が高まった。これが70年代の石油ショックにつながる。

 

 

パフレヴィー2世の白色革命

 61年 パフレヴィー2世は、経済改革と脱イスラム教政策を進めた。

 これは、ケネディ アメリカ大統領の要請であった。

 経済改革では、農地改革で農民の不満を解消。労働者の待遇改善。資本を地方の資本家から中央の資本家に集約した。また、教育を向上させ、識字率を高めた。しかし、物価が高騰。格差が拡大。政治汚職も横行。国民の不満を高め78年のイラン革命につながる。

 また、ペルシアのナショナリズムを高め、脱イスラム化政策を進めた。この政策で大きかったのは女性の地位向上である。婦人参政権を認め、ヒジャーブ(イスラムの女性が着る顔を覆うもの)の着用を禁止し、一夫一妻制を導入した。

 これに対し、シーア派の宗教指導者や学生を中心に反政府運動がおこった。ホメイニ師はこの運動に直接かかわってはいないが、63年国外追放処分を受けた。

クウェートの独立とバアス党政権成立

 61年06月 クウェート、イギリスから独立。イラクのカセム首相(親ソ政権)はクウェートの併合を試みる。これに対し、イギリスはクウェートに派兵。カセム政権は併合をあきらめた。

63年02月 イラク 軍部クーデター(ラマダン革命)で、バアス党政権樹立。カセム首相は処刑された。この時、イラク共産党員も多数処刑された。

63年11月、イラク軍部アーリフ大統領が、バクル首相らバアス党員を政権から追放

67年07月、第三次中東戦争に参戦。

68年07月、バアス党、クーデターにより政権奪還。
      ソ連と友好協力条約を締結。共産党員を入閣させた。

OPECの設立

 60年、イラクのカシム大統領の呼びかけで設立
     石油メジャーとの価格交渉力を高める。
     原加盟国、イラク、イラン、クウェートサウジアラビアベネズエラ
        →以後、加盟国が急増する。
       60年のアフリカの年を皮切りに産油国の独立が進む

 70年代に入ると、石油メジャーに対して攻勢に立てるようになる。
  73年の第四次中東戦争では、第1次オイルショックを引き起こした。
  これにより、先進国は低成長期に入る。

次回予告 

「1950年代のイラク パフレヴィー朝 モサデク首相の石油国有化」

お楽しみに

 

このころの日本は

 

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 このころのヨーロッパは

 

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 このころの中国は

 

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