1960年代、東京はオリンピックで盛り上がっていた。
そのころ、イランではパフレヴィー2世の改革を進めた。これにより経済力が付いた一方で、格差は拡大。また、反イスラム的な政策により、一部の国民から不満が高まった。
このころ、OPECが設立。60年のアフリカの都市と相まって多く石油産出国が独立。産油国の発言力が高まった。これが70年代の石油ショックにつながる。
パフレヴィー2世の白色革命
61年 パフレヴィー2世は、経済改革と脱イスラム教政策を進めた。
経済改革では、農地改革で農民の不満を解消。労働者の待遇改善。資本を地方の資本家から中央の資本家に集約した。また、教育を向上させ、識字率を高めた。しかし、物価が高騰。格差が拡大。政治汚職も横行。国民の不満を高め78年のイラン革命につながる。
また、ペルシアのナショナリズムを高め、脱イスラム化政策を進めた。この政策で大きかったのは女性の地位向上である。婦人参政権を認め、ヒジャーブ(イスラムの女性が着る顔を覆うもの)の着用を禁止し、一夫一妻制を導入した。
これに対し、シーア派の宗教指導者や学生を中心に反政府運動がおこった。ホメイニ師はこの運動に直接かかわってはいないが、63年国外追放処分を受けた。
クウェートの独立とバアス党政権成立
61年06月 クウェート、イギリスから独立。イラクのカセム首相(親ソ政権)はクウェートの併合を試みる。これに対し、イギリスはクウェートに派兵。カセム政権は併合をあきらめた。
63年02月 イラク 軍部クーデター(ラマダン革命)で、バアス党政権樹立。カセム首相は処刑された。この時、イラク共産党員も多数処刑された。
63年11月、イラク軍部アーリフ大統領が、バクル首相らバアス党員を政権から追放
67年07月、第三次中東戦争に参戦。
68年07月、バアス党、クーデターにより政権奪還。
ソ連と友好協力条約を締結。共産党員を入閣させた。
OPECの設立
60年、イラクのカシム大統領の呼びかけで設立
石油メジャーとの価格交渉力を高める。
原加盟国、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビア、ベネズエラ
→以後、加盟国が急増する。
60年のアフリカの年を皮切りに産油国の独立が進む
70年代に入ると、石油メジャーに対して攻勢に立てるようになる。
73年の第四次中東戦争では、第1次オイルショックを引き起こした。
これにより、先進国は低成長期に入る。
次回予告
「1950年代のイラク パフレヴィー朝 モサデク首相の石油国有化」
お楽しみに
このころの日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は