10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。

1960年代のフランス ド・ゴール大統領 英米と距離を置くフランス アフリカの年とベトナム戦争

 59年アルジェリア問題から第五共和政が成立。ド・ゴール大統領が誕生した。ド・ゴール大統領は英米と距離をおく独自外交路線をとった。一方で、アフリカの植民地の独立を承認した。しかし、68年の世界的な学生デモの流れで、翌69年退陣する。

  

60年代の国際情勢

 50年代のスターリン批判で冷戦は小康状態に入った。62年キューバ危機では核戦争の一歩手前まで行ったが何とか回避した。その中でベトナム戦争が勃発。このころソ連と中国の対立が始まった。

ド・ゴール大統領の独自外交路線

 ド・ゴール大統領を支持したのが、フランス・ベルギー財界である。そのため、ド・ゴールは、欧州統合を進めていた。そのため、英米と距離をおく独自外交路線を進めた。西ドイツと和解。東欧諸国の歴訪。中華人民共和国の承認。一方で、NATO国際連合に対して批判的な態度をとった。また、欧州統一市場にイギリスが参入することを嫌い、イギリスのEC加盟を拒否した。また、この独自外交を実現するため、核武装を行った。

ECの誕生

ド・ゴール大統領は、イギリス、アメリカに対抗できる経済圏を作ろうとした。そのため、50年代にフランスと西ドイツを中心に成立させたECSC,EEC,EAECが統合してEC(ヨーロッパ共同体)に統合。一方でイギリスのEC加盟を拒否した。

アフリカ植民地の独立(アフリカの年)

ド・ゴール大統領は、60年アフリカ13か国の独立を承認した。しかし、アルジェリアについては、現地軍の反対により2年後の62年の独立となった。

ベトナム情勢

フランス撤退後のベトナムは、南北に分裂。北はホーチミンらの社会主義政権。南は親米派のゴ=ディン=ジィエム政権が成立。南ベトナムで内戦が勃発。反政府軍北ベトナム、政府側にアメリカがまわりベトナム戦争に発展した。しかし、アメリカの学生を中心とした反戦運動で、アメリカはベトナムから撤退した。

学生運動ド・ゴール退陣

68年は学生運動の年であった。フランスも例外ではなく、パリで大規模なゼネストが起こった。これにより、翌69年ド・ゴール大統領は退陣した。

 

 

59年、第五共和政が成立。シャルル・ド・ゴールが大統領に就任。
60年1月、シャルル・ド・ゴール大統領は、アフリカの13か国の独立を承認した。この年はアフリカの年と呼ばれる。しかし、アルジェリアは、現地軍人や移民の問題で独立を承認することはできなった。
60年2月、フランスはアルジェリアサハラ砂漠核開発に成功。
61年4月、アルジェリア駐屯部隊のクーデター未遂事件。
61年、アメリケネディ大統領、南ベトナム内戦で政府側を支援。
61年、47年に成立したOEEC(ヨーロッパ経済協力機構)がOECD経済協力開発機構に改組。
62年3月、アルジェリア戦争終結アルジェリアがフランスから独立。
63年8月、米英ソが部分的核実験停止条約を締結。しかし、フランスと中華人民共和国は反発して加盟せず。
63年、独仏友好条約を締結。
63年、南ベトナムの内戦。ゴ=ディン=ジィエム政権が倒れる。
64年、フランス、中華人民共和国を国家承認する。
64年、中東でPLOパレスチナ解放機構)が結成。
64年5月、59年のキューバ革命社会主義国になったキューバに機関車を輸出。
64年9月、ド・ゴール大統領、中南米諸国を歴訪。
65年、ソ連と仏ソ原子力平和利用協定を締結。
65年、アメリカのジョンソン大統領、北ベトナムの北爆を命令。ベトナム戦争が始まる。
65年4月、ECSC,EEC,EAECが統合してEC(ヨーロッパ共同体)に統合。
66年、NATOの軍事機構から脱退。NATO本部はパリからベルギーのブリュッセルに移転。国連分担金の支払いを停止。イギリスのEECへの加盟を拒否。
67年7月、シャルル・ド・ゴール大統領が「自由ケベック万歳演説」カナダとの間に緊張がはしる。ケベック独立問題を促進させた。ケベックは、カナダの中でフランス移民が多い地域でカナダからの独立を希望していた。
おなじころ、ナイジェリア(旧イギリス植民地)のビアラフ独立戦争で、独立軍を支援。
68年、NPT(核拡散防止条約)締結。
68年5月、ド・ゴール大統領の強権的な政治に対し、パリで学生・労働者のゼネスト(五月危機)。その後の総選挙でドゴールが議会選挙で勝利し、ドゴール大統領は政権を維持した。この年は、世界的に学生運動が盛んだった。アメリカでは、ベトナム反戦運動。中国では文化大革命。日本でも安保問題に端を発した東大紛争が行われたのがこの年である。
68年、アメリカのジョンソン大統領、学生らの反戦運動を受け、ベトナムの北爆を停止。同じ年の大統領選に敗北。ニクソン大統領が登場。
69年6月、五月危機の責任をとり、ドゴール大統領が退陣。ジョルジュ・ポンピュドゥー大統領就任。ジョルジュ・ポンピドゥー大統領は、ド・ゴールの路線を継承した。

69年、アメリカのニクソン大統領、ベトナムから撤兵を打ち出す。

そのころの日本は

 

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 そのころの中国は

 

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