60年の中国は、「大躍進」政策の失敗で毛沢東らは失脚。劉少奇、鄧小平ら修正派が政権を担っていた。外交では、53年スターリンの死によって政策を転換したソ連(のちのロシア)と対立。
国内では、修正派政策に不満を持つ勢力により66年「文化大革命」が起き、修正派が失脚。毛沢東の時代に戻った。一方、ソ連との対立は深刻化。国境紛争まで起こった。一方でベトナム戦争が停戦すると、米中関係は改善していった。
国内政治
60年の中国は、58年から始まった「大躍進」政策の失敗で、餓死者を多く出し、毛沢東らが失脚。劉少奇ら「修正派」が政治をとっていた。しかし、66年、毛沢東を支持する学生らにより「文化大革命」が実施される。これにより毛沢東は復権した。「知識より労働を」のスローガンの下、北京大学などの主要な大学は閉鎖した。
外交
60年の中国を取り巻く国際情勢は、台湾問題でアメリカとの関係は悪化していた。ソヴィエト(今のロシア)もスターリン批判を行ったフルシチョフの時代に入り、アメリカとの関係を重視し、中国を批判した。60年、ソ連は中国から技術者を引き上げた。64年、中国は核実験に成功。65年にはベトナム戦争の本格化により米中関係も悪化した。
しかし、68年アメリカでニクソン大統領が就任すると、ベトナム戦争は停戦。米中関係の是正の方向へ向かい始めた。一方で、中ソ関係は悪化し、国境紛争も生じた。
そのころ日本は