生類憐みの令で有名な徳川綱吉の時代。このころ、忠臣蔵で有名な赤穂事件が起きている。このころ、富士山が噴火した。
そのころ、ヨーロッパはフランス=ブルボン朝の全盛期であった。ルイ14世がヨーロッパ各地に侵攻した。その一環としてスペイン継承戦争が勃発した。
このころ、イングランドはアン女王の時代である。アン女王はスコットランドとイングランドを合同させ大ブリテン王国を成立させた。
前回の復習 スペイン継承戦争
18世紀は、フランス=ブルボン家の転落の歴史である。18世紀初頭のフランスは、太陽王ルイ14世の全盛期であった。そのような中、隣国スペインで、スペイン=ハプスブルク家が断絶。ルイ14世は、自分の孫をスペイン王にしようとした。これにより始まったのがスペイン継承戦争である。
イングランドは、オーストリア=ハプスブルク家やオランダとともにフランスと戦った。この戦争の戦場はヨーロッパだけにとどまらず新大陸アメリカも戦場になった。この戦争でイングランドはフランスに勝利した。
今回は、このスペイン継承戦争が始まったころのイングランドの状況をみていきます。
アン女王と大ブリテン王国
スチュアート朝最後の王、アン女王
02年、名誉革命でイギリス国王になったウィリアム3世が亡くなった。跡を継いだのは義理の妹でジェームズ2世の娘であるアン女王である。ウィリアム3世は元々オランダ提督であった。17世紀後半の名誉革命でイングランド王に就任した。彼が恐れたのは名誉革命でフランスへ亡命したジェームズ2世の子孫がイングランド王に戻ることであった。そのため、遺言を残し義妹のメアリを次の国王に指名した。
イングランドとスコットランドが合同
当時スチュアート家はイングランド王とスコットランド王を兼務していた。しかし、鉄道もない時代に1人の女王がイングランドとスコットランドを往復することは大変なことであった。そのため、スコットランド議会をロンドンで開くことにした。こうして成立したのが大ブリテン王国である。
スペイン継承戦争
18世紀はスペインから始まった。16世紀から続いたスペイン=ハプスブルク家が断絶した。次のスペイン王をめぐり、フランス=ブルボン家とオーストリア=ハプスブルク家が対立。戦争に発展した。
ルイ14世の孫はスペイン王(フィリペ5世)になる
ルイ14世は、17世紀半ばのピレネー条約でスペイン王女を后に迎えていた。スペインでスペイン=ハプスブルク家が断絶すると、ルイ14世はスペイン王室の血のつながりを利用して自分の孫をフィリペ5世としてスペイン王につけた。これにオーストリア=ハプスブルグなどの周辺諸国が反発。
太陽王ルイ14世
当時のフランス=ブルボン家は、全盛期である。太陽王ルイ14世の治世である。この時代にヴェルサイユ宮殿が建設された。また、ヨーロッパ各国へ侵略した。このせんそうにより、フランスの国土は拡大した。しかし、オランダやオーストリア=ハプスブルグ家など周辺諸国の反感を買った。また、カトリック教の強制を開始。これにより、カルヴァン派(プロテスタント)の大規模商人は、プロテスタント国のスイス、オランダ、イギリスへ亡命した。
スペイン王室がもつアシエント権
スペイン王室は巨大利権をもっていた。アシエント権である。アシエント権とは新大陸アメリカでの奴隷供給権である。当時アメリカは大規模農場が多数存在した。そのため、万年的な人材不足の状態であった。大規模農園領主は、奴隷を多数雇った。その多くは西アフリカから供給された。スペイン王室は、アメリカ植民地の黒人奴隷の販売枠を設定し、それを外国に販売することでスペイン王室は利益を上げた。
フェリペ2世は、このアシエント権をフランス商人に独占させた。イギリス商人はアシエント権を喉から手が出るほど欲しかった。フランス商人に独占されたアシエント権を奪還するため、オーストリア=ハプスブルグ家とともにフランスを攻撃した。
アメリカでは、アン女王戦争
スペイン継承戦争は、アメリカにも波及した。アメリカへ先に進出したのはイギリスである。17世紀半ば、太陽王ルイ14世の時代に入るとフランスもアメリカ大陸に進出した。しかしアメリカ東海岸はイギリスに抑えられていた。そのため、フランスはカナダから五大湖(シカゴ周辺)をとおり、アメリカ中部の大平原に進出した。この大平原はルイジアナと呼ばれた。
イギリスは、フランスが進出したカナダとスペインが保有しているカリブ海の島々を攻撃した。
インドは、アウラングゼーブ帝のおかげで戦場にならなかった。
一方、18世紀の植民地戦争のもう一つの舞台はインドである。この頃になるとフランスもイギリスもインドに貿易拠点を設定した。しかし、この頃はムガル帝国が健在で、アウラングゼーブ帝の時代である。
東欧では北方戦争
一方では、ロシアとスウェーデンがバルト海の制海権をめぐって北方戦争が行われた。17世紀、東欧の強国はスウェーデンでロシアは東欧小国であった。当時露西亜の皇帝はピョートル大帝で西欧化政策を進めていた。
産業革命
このころ、ニューコメンが石炭を採掘する排水システムを構築。石炭の採掘量が増加した。この技術は60年代のワット蒸気機関の応用されている。
また、ダービー親子が、石炭による製鉄に成功。大砲等に使える強い鉄が作れるようになった。
この頃の日本は
このころのフランスは
このころのインドは