10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

4世紀のインド グプタ朝の成立

 4世紀、日本では古墳時代。この時代の日本のことがよくわかっていない。それは中国が五胡十六国の戦乱の時代であったからである。

 このころのインドは、古代四王朝の3番目グプタ朝の時代である。グプタ朝は4世紀に成立した。

 

前回までの復習 古代インドの四王朝

 インドは古代インド四王朝の時代である。5世紀は、3番目の王朝グプタ朝の時代にあたる。グプタ朝は、5世紀初頭にチャンドラグプタ2世の全盛期である。中国(南朝東晋)から法顕がインドへ留学しに来た。

 今回は、グプタ朝の成立から 、全盛期のチャンドラグプタ2世の時代までを見ていく。

グプタ朝の成立

 4世紀、インドではグプタ朝が成立した。建国者はチャンドラグプタ1世で都は東インドのパータラリプトラである。この地域は19世紀にインド東インド会社が拠点を置いたベンガル州であった。
 

チャンドラグプタ2世の全盛期

 4世紀末のチャンドラグプタ2世の時代になると、グプタ朝は全盛期を迎えた。インド北西部に領土を拡大。北インド全体を支配するようになった。

インド版国風文化、グプタ様式

 グプタ朝は、マウリヤ朝の栄光を追いかけた。それは文化にも表れた。あまり、海外(ペルシャ)の影響を受けない文化となった。仏像面では奈良の大仏ように特徴的な髪形の仏像が多く作られた。この頃建設された有名な寺院に世界遺産のアジャンター石窟寺院がある。
 5世紀になると南北朝時代の中国でも、グプタ式の石窟寺院が数多く作られた。

そのころペルシアは

 古代から中世のインドはペルシャの状況を大きく受ける。この頃ササン朝ペルシアの時代である。この頃ササン朝ペルシアはローマ帝国と平和的を享受していた。

この頃の日本は

 

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 同じ仏教国の中国は

 

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 インドに脅威を与えていたペルシアは

 

 

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