4世紀、日本では古墳時代。この時代の日本のことがよくわかっていない。それは中国が五胡十六国の戦乱の時代であったからである。
このころのインドは、古代四王朝の3番目グプタ朝の時代である。グプタ朝は4世紀に成立した。
前回までの復習 古代インドの四王朝
インドは古代インド四王朝の時代である。5世紀は、3番目の王朝グプタ朝の時代にあたる。グプタ朝は、5世紀初頭にチャンドラグプタ2世の全盛期である。中国(南朝の東晋)から法顕がインドへ留学しに来た。
今回は、グプタ朝の成立から 、全盛期のチャンドラグプタ2世の時代までを見ていく。
グプタ朝の成立
4世紀、インドではグプタ朝が成立した。建国者はチャンドラグプタ1世で都は東インドのパータラリプトラである。この地域は19世紀にインド東インド会社が拠点を置いたベンガル州であった。
チャンドラグプタ2世の全盛期
4世紀末のチャンドラグプタ2世の時代になると、グプタ朝は全盛期を迎えた。インド北西部に領土を拡大。北インド全体を支配するようになった。
インド版国風文化、グプタ様式
グプタ朝は、マウリヤ朝の栄光を追いかけた。それは文化にも表れた。あまり、海外(ペルシャ)の影響を受けない文化となった。仏像面では奈良の大仏ように特徴的な髪形の仏像が多く作られた。この頃建設された有名な寺院に世界遺産のアジャンター石窟寺院がある。
5世紀になると南北朝時代の中国でも、グプタ式の石窟寺院が数多く作られた。
そのころペルシアは
古代から中世のインドはペルシャの状況を大きく受ける。この頃ササン朝ペルシアの時代である。この頃ササン朝ペルシアはローマ帝国と平和的を享受していた。
この頃の日本は
同じ仏教国の中国は
インドに脅威を与えていたペルシアは