1980年代後半のインド ラジプ=ガンディーとスリランカ
1980年代後半、日本は平成に入ったころ。世界は激動な時代であった。ベルリンの壁が崩壊したのもこのころである。
そのころ、インドでは、ラジプ=ガンディ首相を務めた。このころ、隣国のスリランカでタミル問題が発生。ラジプ=ガンディ首相はタミル問題に介入した。
国民会議派、ラジプ=ガンディー首相
84年、母インディラ=ガンディー首相が亡くなるとラジプ=ガンディー首相が登場した。インドの国民会議派は、日本の自民党に近い政党であった。このころ、長期政権を担った関係で腐敗していた。とくに汚職問題が頻繁に起こっていた。そのため、国民会議派はクリーンなイメージがあるラジプ=ガンディを指名した。
しかし、さらに汚職問題が発生。89年総選挙で大敗。ラジプ=ガンディ首相は辞任。国民会議派は、インド人民党やインド共産党の閣外協力を得てなんとか政権を維持することができた。
パキスタンでは、イスラム圏初の女性首相 ブットー首相
パキスタンでは、88年11月、10年前の軍事クーデター以来、初の公開選挙を実施。
パキスタン人民党が勝利。イスラム圏で初の女性首相ベーナズィール・ブットー首相が誕生した。ベーナズィール・ブットー首相は、10年前の軍事クーデターで処刑されたアリー・ブットー首相の娘である。
90年8月、汚職問題が発覚。軍部のクーデターにより、ベーナズィール・ブットー首相は辞任した
スリランカでタミル問題
スリランカは、インドの南の島国である。
仏教を信仰するシンハラ人が多数を占めていた。
タミル人は、スリランカの少数民族。インドと同じヒンドゥー教を信仰していた。
83年から、タミル人が分離独立運動を開始。
87年、インドのラジプ=ガンディー首相は、独立運動弾圧のため、インド軍をスリランカに派兵。この派兵への反発が89年総選挙のインド人民党の躍進につながった。91年には、タミル人過激派によってラジプ=ガンディー首相は暗殺された。
このころ日本は