1940年代後半のインド インドの独立とネルー首相
1945年、第二次世界大戦が終結。アメリカは日独伊の対ファシズムとの戦いを終え、新たな敵ソ連などの共産主義陣営との戦いが始まった。
アジアでは、多くの国がこの時期に独立を果たした。インドもその一つであった。
47年 インド、パキスタンがイギリス連邦から独立
東南アジアから始まる独立ドミノ
45年、第二次世界大戦が終結した。アジア・アフリカの独立は日本に一時占領された東南アジアから始まった。これに対し、イギリス・アメリカなど比較的犠牲が少ない宗主国はすんなり独立を認めたが、フランス・オランダなど自国の被害が大きい国々は大きく抵抗した。その中で大きな戦争になったのがインドシナ戦争である。
パキスタンを別に独立させるか。
インドも、ほかのアジア諸国同様独立が既定路線であった。旧宗主国のインドも独立容認の方向で動いていた。しかし、ここに大きな問題が生じた。パキスタンの取り扱いである。パキスタンの分離独立を求めたのは、パキスタンに住むイスラム教徒である。その中心人物は、全インド=ムスリム連盟(1906年結成)のジンナーであった。一方、ヒンドゥー教徒は統一インドを望んでいた。その中心人物は国民会議派のガンディーとネルーであった。
47年07月、イギリス連邦はインド独立法を制定。ジンナーの首長が認められ、ヒンドゥー教徒のインド連邦とイスラム教のパキスタンに分かれて独立した。
当時のパキスタンは、インドの北西部の他、インドの北東部(現在のバングラディシュ)も含まれていた。このとき、人口の多い北西部が政治を主導した。そのため、北東部のパキスタン人が徐々に不満を持つようになった。
なお、翌48年、スリランカはイギリス領の自治領として独立した。スリランカは、1972年に憲法を制定し、共和国として完全に独立した。
当時のイギリスは
当時のイギリスはどのような状況であったのだとうか。45年05月、ドイツが降伏。その2か月後の総選挙でチャーチル首相が敗戦。アトリー労働党内閣が成立した。アトリー内閣は、社会主義政策を進めた。重要産業の国有化や社会保障の充実などである。また、外交的には、軍事的にはアメリカに従属的になっていた。ビルマなど植民地の独立を多く承認していた。
インド初代首相、ネルー首相
47年、インドの初代首相に国民会議派のネルーが選ばれた。ネルーは、ガンディーとともに、国民会議派を仕切っていた。しかし、ガンディーがインドの伝統文化を大切にする。一方、ネルーはロンドンで社会主義について学んでいた。そのため、インドは社会主義の方向で進んでいく。
この社会主義は、中国やソ連のような共産主義とは異なっている。議会によって、経済格差を務める政策であった。企業の私有は認めるものの大きく規制をかけた。また、貿易政策では保護貿易政策をとり、国内産業を保護した。
48年、インド建国の父ガンディーは急進ヒンドゥー教徒に暗殺された。国民会議派はイスラム教徒に寛容な政策をとっていた。急進ヒンドゥー教徒から反発を受けていた。
50年、インドは憲法を制定し、インド共和国となった。ここでカースト制度(階級差別)の禁止など、悪しき伝統を排除し近代化を目指した。
このころ日本は
このころの中国は