天安門事件の影響で総書記に就任した江沢民総書記は、鄧小平の経済改革政策を継続した。一方で、天安門事件の影響で国際的に孤立していた。その打開として、東南アジア諸国との国交正常化や天皇訪中を実現した。97年、イギリスから香港が返還。同じ年鄧小平氏が死亡すると、江沢民総書記が最高指導者となった。
97年、1840年代のアヘン戦争でイギリスに割譲した香港を、99年、1880年代にポルトガルに割譲したマカオがそれぞれ返還された。返還された後も、これらの地域は資本主義が認め、自治も認められている。これを「一国二制度」という。
一方、江沢民総書記は国内には高圧的な政策をとった。法輪功への弾圧はその一例である。一方で長期の、中国共産党の一党独裁は、政治腐敗を呼んだ。中国共産党幹部は、これに対する不満が内乱につながらないか恐れていた。
そのころ日本は