江戸時代の日本は、化政文化バブルが終わりを告げた。原因は天保の大飢饉(米の不作)である。大阪の大塩平八郎の乱などの暴動(一揆や打ちこわし)が頻発した。そのような中、水野忠邦が老中になる。
25年に出された異国船打払令は大きな問題を発生させた。アメリカ船が日本人漂流民を日本に届ける際に砲撃を受ける事件が発生(モリソン号事件)。これに対し批判が続出。老中水野忠邦は、これに対し弾圧を行った(蛮社の獄)。当時のアメリカはジャクソン民主党大統領のもと西部開拓を進めていく一方、南部と北部の対立が始まっていた。