10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1960年代のインド 印パ戦争とインディラ=ガンディ首相就任

 1960年代、日本は高度成長期を迎え、東京オリンピックを開催した。

 そのころ、インドはカシミール地方の帰属をめぐり、パキスタンと戦争を行った。政治面では、国民会議は政権が続いていた。初代ネルー首相が亡くなり、インディラ=ガンディ首相が誕生した。経済政策では、一環して社会主義政策を進めていた。この時代、インドは食糧難に苦しんでいた。

 

 

外交 中国、パキスタンと戦争

 1960年代、キューバ危機を乗り越えて米ソは軍縮方向へ向っていた。60年代後半に入るとベトナム戦争が勃発。アメリカは泥沼のベトナム戦争に向かった。

 そのころ、インドはパキスタン、中国と国境紛争が発生した。59年、中国と国境紛争が発生。61年、武力のよってポルトガルからゴアを奪還。62年、中国と国境紛争が武力衝突に発展。翌63年には、パキスタンカシミール帰属問題で第一次印パ戦争が行われた。65年には、第二次印パ戦争が行われた。

 50年代、インドは中国と連携をとり、非同盟運動の盟主として、ソ連アメリカに続く第三勢力の結成に力を入れていた。しかし、国境紛争で中国と対立。インドは孤立していった。
 


政治 国民会議派の長期政権が社会主義政策を進める。

ネルー首相の社会主義政策と食糧難

 政治面では、初代首相ネルー政権が続いていた。ネルー首相は社会主義に近い経済政策をとっていた。また、外資流入について規制をかけていた。また、国内産業保護のため保護貿易政策をとっていた。しかし、60年代社会主義国家は食糧難を迎えていた。

インディラ=ガンディ首相、銀行国有化

 64年、ネルー首相が心臓発作で急死。
 66年、インディラ=ガンディ首相が就任

 インディラ=ガンディーはネルー首相の娘でネルー首相と同じ国民会議派
 食糧難を打開するため、世界銀行から融資を得る。その融資条件のため、66年ルピーの切り下げを行った。
 65年、第二次印パ戦争が始まると、パキスタンを支援するアメリカと対立。アメリカや世界銀行はインドへの融資を大幅に削減した。インドの世論は反米・ハン世界主義的色彩を帯び始めた。インディラ=ガンディ首相はこれに同調。社会主義的政策をさらに進めた。69年には大手商業銀行の国有化を進めた。
 インドの政治は、社会主義を進めるインディラ派とそれに反発する反インディラ派に分裂した。

このころの日本は

 

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 国境紛争を行った中国は

 

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