1980年代前半、日本は70年代の停滞期を乗り越えバブル経済へ向っていく時代であった。
この時期、米ソは新たな段階を迎えていた。70年代、軍縮に向かって進んでいた。79年のソ連のアフガニスタン侵攻によって展開は変わった。新冷戦期に入る。
一方、ブルジネフ書記長が亡くなると、長期政権の弊害が顕在化した。そして、若き改革派ゴルバチョフ書記長が誕生した。
79年 アフガニスタン侵攻
なぜ、アフガニスタンへ侵攻したかは、次回紹介
79年12月 ソ連はアフガニスタンへ侵攻。親ソ連政権を支援した。
これに対し、アメリカのカーター大統領(民主党)は反政府組織に軍団支援を行った。この反政府組織は後のタリバン政権である。
SALTⅡ、批准されず
79年6月、アメリカ(カーター大統領)とソ連(ブレジネフ書記長)との間でSALTⅡ(第二次戦略兵器制限条約)を締結。しかし、ソ連のアフガニスタン侵攻により批准されず、成立しなかった。
70年代の軍縮時代(デタント)が終わり、新冷静の時代に入った。80年、アメリカ大統領選挙で、共和党タカ派レーガン氏が当選。
80年、モスクワオリンピック。
アメリカ、日本など西側諸国の一部はボイコット
80年、イラン・イラク戦争勃発
79年、イランでイラン革命
80年、イラク・イラク戦争勃発
ソ連は、カフカス地方でイランと対立しているので
アメリカと同じイラクを支援
ブルジネフ書記長の死去とレーガン外交
80年11月 アメリカ大統領選挙、共和党タカ派のレーガン氏が当選
80年11月、現職の民主党カーター大統領が敗れ、共和党で強硬外交派のレーガン大統領が当選。
82年 ブレジネフ書記長死去
18年の長期政権の弊害
指導者層の高齢化
高級官僚が特権階級化
アンドロボブ書記長、チェルネンコ書記長と短命政権が続く
83年09月 大韓航空機撃墜事件
大韓航空機がソ連の領空を侵犯。
ソ連軍機が、アメリカ軍機と取り違えて撃墜。
83年 アメリカ、スターウォーズ計画(SDI 戦略防衛構想)
ソ連のミサイルがアメリカに到達前に迎撃
しかし、膨大なコストにより断念
84年 ロサンゼルスオリンピックにソ連不参加
なぜ、ソ連は崩壊に向かったのか
1.経済の停滞
日本に抜かれる
西側諸国の豊かな生活
2.18年のブレジネフ書記長の長期政権
政治腐敗
格差の象徴、テクノラート(高級官僚)
→ 若き改革派ゴルバチョフ書記長が誕生
このころの日本は
イラン・イラク戦争真っ最中のイランは