1980年代の日本 昭和 中曽根康弘とバブル経済に浮かれる日本
80年代初頭、田中角栄の列島改造計画の下、東北新幹線、上越新幹線が開通した。松田聖子やおニャン子クラブなどのアイドルブームがはやる。一方で、明石家さんまやビートたけしなどのお笑いブームがおこる。俺たちひょうきん族や笑っていいともが始まったのもこの時代。ファミコンなどのテレビゲームが登場したのもこの時代。
80年、モスクワオリンピックを開催。日本は、79年のソ連のアフガニスタン侵攻を理由にボイコットした。同じ年、前79年のイラン革命後のホメイニ氏のシーア派の共和制になったイランと、 前79年にサダムフセインが大統領に就任したイラクの間でイランイラク戦争が始まる。
82年、バーコード頭で有名な中曽根政権が成立した。このころ、アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相など、新自由主義を主張する政治家が台頭した。中曽根政権も、NTT(固定電話<このころ携帯電話はほとんど普及していない>)やJRの民営化を実施した。
一方で、アメリカの双子の赤字問題(財政赤字と貿易赤字)が続いていた。85年、この問題について、アメリカ、日本、西ドイツなどの経済閣僚をアメリカのプラザホテルに集めて会合。その結果、協調してドル安にもっていくことが決定された。日本政府は、円高誘導を行った。一方で、輸出減による不況が起きないように、内需拡大のための金利の引き下げを行った。これらで融資された資金は、国内投資へむかわず、不動産投資や株式投資へ向かった。不動産価格と株価の上昇により、バブル景気が発生した。1万円札を見せびらかさないとタクシーが捕まらないなどの伝説はこの時に生まれた。