12世紀、日本では平清盛や源頼朝など武士が活躍する。
このころのフランスは、十字軍の真っ最中である。一方で、フランス西半分はイングランド国王支配下になる。フランスは、十字軍とイングランドの両方と戦うことになる。
ルイ7世と第2回十字軍
30年 ノルマン人、南イタリアに両シチリア公国を建国。南イタリアは、11世紀アラブ人が住んでいた。そのため、首都のパレルモ(シチリア島)は国際色豊かな都市となり、12世紀ルネサンスが起こった。
47年、十字軍遠征が始まる。きっかけは、トルコ人(ザンギー朝)によるイェルサレム王国への侵略である。今回は、フランス国王ルイ7世をはじめ、ドイツ(神聖ローマ帝国)、両シチリア王国がそれぞれ十字軍を結成した。今回はイェルサレムだけでなくシリアの拠点ダマスカスにも侵攻。しかし、49年、失敗に終わった。
54年 フランスの諸侯アンジュー伯ヘンリ2世、イングランド国王になる(プランタジネット朝)。アンジューは、パリの南西の地域。ヘンリ2世の母はイングランド国王ヘンリ1世の娘であった。これにより、ヘンリ2世は、イングランドの他フランスの西半分を支配した。アンジュー帝国と呼ばれる。これはフランス国王の悩みの種になる。
第3回十字軍 オールスター戦
71年、エジプトのファーティマ朝の最後の王が病死。宰相サラディンがスルタンに就任。アイユーブ朝が成立。サラディンは、十字軍最大の敵になる。
そのような中、80年、フランス国王フィリップ2世が即位。
ローマ教皇は第3回十字軍を結成を呼び掛けた。第3回十字軍は、神聖ローマ皇帝(ドイツ国王)フリードリヒ1世、フランス国王フィリップ2世、イングランド(アンジュー帝国)国王リチャード1世が参加した。イスラム側のサラディンも含めて、オールスター戦にになる。
89年、第3回十字軍が始まった。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世は事故死で早々に撤退した。イングランド・フランス連合軍がパレスチナ(今のイスラエル)のアッコンを奪還した。しかし、フランス国王フィリップ2世は帰国。イングランド国王リチャード1世が単独で戦うことになる。
92年9月、イングランド国王リチャード1世とサラディンが講和条約を締結。第3回十字軍が終わる。講和条件では、アッコンなどイスラエルの海岸沿いは十字軍領土とし、それ以外はアイユーブ朝の領土とした。イェルサレムもアイユーブ朝の領土としたがキリスト教の巡礼は許可した。
一方、帰国したフランス国王フィリップ2世はイングランド領へ侵攻した。大陸の大部分を獲得したが、92年イングランド国王リチャード1世が帰国するとその大部分を奪還された。
98年、史上最強のローマ教皇インノケンティウス3世が即位した。
次回予告
なぜ、十字軍ははじまったのか。
「11世紀のフランス カペー朝 ノルマン人と十字軍」
おたのしみに
このころの日本は
このころの中国は