9・11テロで始まった2000年代。アフガニスタン、イラク、イランそれぞれアメリカのブッシュ大統領(子)の攻撃を受けた。
核開発疑惑
02年、反体制派により秘密裏に行われている核開発が暴露
03年、欧州各国との協議の結果、ウラン濃縮を一部を受け入れる。
しかし、強硬派により、核開発が加速、国連安保理が経済制裁を決議。現在もこの制裁が続いている。
9・11テロとイラク戦争
01年9月11日、4機の航空機がハイジャックされ、ニューヨークとワシントンに激突した。アメリカのブッシュ大統領は、この首謀者をイスラム過激派アルカイダのビン=ラディン氏と特定した。
ブッシュ大統領は、アフガニスタンのタリバン政権にビン=ラディンの引き渡しを要求。しかし、タリバン政権はこれを拒否した。10月アメリカ・イギリス両軍はアフガニスタンを空爆。12月タリバン政権は崩壊した。
02年1月、ブッシュ大統領は「悪の枢軸」演説を行い、イラン、イラク、北朝鮮を非難した。当時のイラクは、スンニ派バース党のフセイン政権下にあった。フセイン政権は反対勢力を弾圧し、独裁色をさらに強めていた。02年11月、国連は大量破壊兵器の開発疑惑について査察を要求。フセイン政権はこれを受け入れた。03年1月、国連の中間報告では、大量破壊兵器の開発の確証は得られなたかったとされた。03年3月、アメリカは、イラクへの空爆を開始した。イギリスは賛同した。しかし、フランス・中国・ロシアはこれを非難した。同年4月、アメリカ軍はバクダードへ入城。フセイン政権は崩壊した。フセイン像が倒された映像があまりにも印象的であった。フセイン大統領は、02年12月に逮捕され、06年処刑された。
アラブの春
10年12月17日午前11時30分、チュニジアの一人の青年が焼身自殺をした。この焼身自殺が地中海沿岸の開発長期独裁政権を次々崩壊する「アラブの春」の始まりである。イスラム教では、最後の審判で復活するので土葬をする。そのため、焼身自殺は相当な抗議である。
チュニジアでは、この焼身自殺を受けて反政府デモが頻発した。翌11年、大統領は国外へ亡命。23年続いた独裁政権は崩壊した。この政権交代はアラブ諸国へ波及した。
この背景には、不況による失業率の高さにあった。とくに若者の失業率の高さがあった。また、長期独裁政権によって政治は腐敗。公務員の賄賂要求が多くなった。
次回予告
なぜ、イラン、アフガニスタン、イラクがアメリカとの関係が悪化したのか
「1990年代のイラン イラクのフセイン大統領、湾岸戦争で多国籍軍に攻められる。」
をお楽しみに
余談ですが、明日のフランス編では、カール5世が出る関係で超長文になってしまいました。カール大帝の太陽の沈まぬ国は日本も含めて多くの関係国が出るので仕方ないですよね。
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このころ日本は
このころのヨーロッパは
このころの中国は