漢代の歴史書『史記』によると、三皇五帝の時代で中国の歴史が始まったとされる。三皇五帝とは、中国の建国神話で、3人の神と5人の天子で中国が始まったとされる。その後、最初の王朝、夏王朝が成立されたとされる。夏王朝は、三皇五帝の最後の天子から禅譲されたといわれている。しかし、歴史的にこの王朝は証明されていない。
紀元前16世紀
黄河流域に殷王朝が成立した。黄河下流域の河南省で殷墟(殷王朝の跡)が発見されている。亀の甲羅や動物の骨を焼く占いで政治を行った。(神権政治)血縁による集団(氏族集団)でまとまっていた。彼らは亀の甲羅などに文字を記していた。これを甲骨文字という。硬いものに文字を書いていたため、直線が多い。これがのちの漢字のルーツになる。
紀元前11世紀
黄河流域のいまの西安(当時は鎬京<コウケイ>とよばれていた)場所に周王朝が成立した。周王朝が有力な家来を婿入りさせ親戚関係にしたうえで、地方の統治を世襲の形で任せた。地方の統治を任されたものを諸侯と呼んでいた。この地方統治体制を封建制という。
紀元前8世紀
西方(中央アジア)から異民族が侵入。紀元前770年西安から東に進んだ黄河流域の洛陽(当時は洛邑<らくゆう>と呼ばれていた。)に都を移した。この時代から8世紀(唐王朝末期)まで都は、西安と洛陽のどちらかであり続けた。
紀元前7世紀
異民族の侵入で周王朝が衰退し、諸侯の発言力が強くなった。有力な諸侯は覇者<ハシャ>と呼ばれた。この時代からの戦乱期を春秋・戦国時代という。
それでも周王朝の権威はまだ保ち続けた。その象徴が周王朝の賜りものに書かれていた漢字であった。
当時の覇者は、春秋五覇と呼ばれる。5人の覇者が登場するが、時代によって5人の国や王がかわる。呉越同舟や臥薪嘗胆の語源となった呉と越は、長江の下流(東部、東シナ海沿岸)にあった国である。余談だが、2世紀に孫権は、この地に呉王朝をたてる。
紀元前6世紀
これで、中国の歴史は最終回です。来週以降は、フランスの歴史とイラン(ペルシア)の歴史をやっていきます。