10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

東南アジアの歴史 7日目 フィリピンの歴史

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フィリピン


 フィリピンは、ほかの東南アジア諸国から離れており、南シナ海の東側。南シナ海と太平洋に挟まれた島国である。
 原住民による王朝はなく、大航海時代前はイスラム承認が支配していた。16世紀の大航海時代からスペインが植民地化を行い、ラテンアメリカと同じ道をたどった。19世紀末の米西戦争で、スペイン植民地からアメリカ植民地に。アメリカは、かなりの自治を認めたため、第二次世界大戦後すぐに独立。
 親米国家になった。マルコス政権による開発独裁が続いたが、1980年代のクーデターでアキノ政権に移行。民主化が進み現在に至る。

10世紀 ムスリム商人によってイスラム教が伝わる。
11世紀
12世紀
13世紀 フィリピン南部は完全にイスラム
14世紀
15世紀
16世紀 大航海時代期、マゼラン一行が寄港。
    しかし、ここでマゼランは原住民により殺害。
    スペインは、フィリピンを占領。マニラを建設。
    メキシコ銀は、このマニラを通してアジア各国に流れるようなる。
    当時の国王カルロス1世の子フェリペ2世の名前からフィリピンと
    呼ばれるようになる。
    キリスト教スペイン入植者と南部のイスラム教徒の間でモロ戦争が起こる。
    一方、フィリピンの北部では倭寇の拠点があった。
17世紀 マニラで、中国商人虐殺事件が発生。
            キリシタン大名高山右近一行がマニラに追放。
    鎖国により、日本とフィリピンの交易はなくなる。
18世紀 英仏植民地戦争のさなか、イギリスがマニラを占領。
1800年代 フィリピン、ナポレオン支配下のスペイン議会に代表を送る。
     一方で、ナポレオンのライバル、イギリスはマニラに商館をおく。
1810年代 メキシコ独立により、スペインの直轄地になる。
1820年代 ジャワ戦争でオランダに敗北
1830年代 コーヒーなどの強制栽培制度が始める。
                マニラが開港、自由貿易が始まる。
1840年代 スペイン植民地の独立を受けて、フィリピン独立運動の機運が高まる。
1850年
1860年代 本国スペイン自由主義革命
1870年代 イギリス系香港上海銀行が進出。
1880年強制栽培制度を廃止。
1890年代 ホセ=リサールらが米西戦争中に独立運動を行う。
     スペインからの独立を果たすも、今度はアメリカの植民地に
1900年代 アメリカ政府、マッカーサーを派遣して
        独立運動を行うゲリラ隊を鎮圧。
     日本政府は、桂=タフト協定で韓国の支配権を認める代わりに
                アメリカ政府に フィリピン支配を認めた。
     アメリカ政府フィリピン議会を開設。
1910年代 第一次世界大戦中、フィリピン自治法成立
1920年代 ウッド提督就任。フィリピン議会と対立。
                フィリピン社会党、フィリピン共産党が結成。
1930年代 世界大恐慌で苦しむアメリカ、10年後の独立を約束
1940年代 第二次世界大戦期 日本軍進駐により、ケソン大統領がアメリカへ亡命
      第二次世界大戦アメリカから独立。
1950年代 アメリカと相互防衛条約を結ぶ
1960年代 ASEANに参加。マルコス大統領就任。
         外国資本と結びつき独裁をひいた。(開発独裁
1970年代 マルコス政権に対する学生の反政府デモで戒厳令がひかれる。
1980年代 反政府警察によるマルコスの政敵アキノ暗殺事件が起こる。
                二月革命で、マルコス大統領が亡命。アキノ大統領が就任。
1990年代 米軍基地条約を批准せず。ラモス大統領就任。米軍が撤退。
2000年代 アロヨ大統領就任
2010年代 麻薬撲滅に積極的なドゥテレテ大統領就任。