紀元前5世紀、春秋時代から戦国時代に変る。この時代になると周王朝の権威はほとんどなく、実力主義の時代になった。この時代、諸子百家が誕生した。その中に孔子がはじめた儒教(当時は儒学)もあった。
春秋時代から戦国時代へ 下剋上
この時代になると周王朝の権威はほとんどなくなり、血縁関係よりも実力がものをいう時代になった。周王朝の都洛陽周辺の有力諸侯の国「晋」が納めていた。その家臣が次々独立。互いに争うようになる。その結果残ったのが3国 趙、魏、韓である。
それまでの紀元前7世紀から紀元前5世紀の戦乱期を春秋時代、紀元前4世紀から秦が中国を統一する紀元前3世紀までの戦乱期を戦国時代という。戦国時代の始まりは学者によって意見が分かれる。有力ななのは、晋が三国に分裂した453年と三国が周王朝に正式に認められた403年である。
実力主義の時代
また、このころになると、周王朝の権威がほとんどなくなっていた。そのため、周王朝の多くの官僚が諸侯に仕えるようになった。また、諸侯に戦や外交によって他国や異民族から国を守る必要になり、兵法、外交などの多くの知識と人々を引き付ける思想を必要とした。
こうした背景の中、知識階級が登場した。これを諸子百家という。思想では、紀元前6世紀から続いている儒家のほか、道家、法家、墨家などがあった。思想以外にも軍事や外交、陰陽師のような占いなどでも有力者が輩出された。代表例は孫氏の兵法である。孔子の始めた儒教もこの諸子百家の一つであった。
儒教とは
周王朝の権威が残っていた時代を理想とした「徳」を重要視する学問
主要な徳として五常が挙げられる。
- 「仁」人を愛し、思いやる
→転じて、皇帝が国民に対する政策の在り方 - 「義」利や欲を捨て、世のため人のために生きる → 利他主義
- 「礼」謙遜し、敬意を払う。
→転じて、下剋上や革命はいけません。
→上下関係を重んじる。 - 「智」勉強しましょう。
- 「信」うそをついてはいけません。
儒教は、秦王朝の始皇帝により弾圧された。しかし、漢王朝の武帝が国教化したことで広く採用された。とくに郷挙里選で採用基準で儒教の考え方が重んじられたのも重要である。これは、曹操の九品中正や隋王朝以降の科挙でも役人の採用基準とされた。
儒教の祖 孔子
紀元前6世紀、魯の国(山東半島の付け根のあたり)に生まれる。ちなみに魯の国は小国であり、春秋時代強国の脅威にさらされていた。魯の国で官僚になるも、政争に巻き込まれ失脚。その後、多くの弟子を抱え、諸国を漫遊。紀元前473年に亡くなる。
儒教の思想を貫いているものは、周王朝の権威が薄れ、荒れた戦乱の時代が早く終わり、かつての中国に戻りたいという願いがあふれている。
諸子百家の4大思想
- 儒家 前述
- 道家 老子、荘子を祖とするため老荘思想ともいわれる。
端的に言えば仙人の思想である。
無為自然→欲を捨て、原理原則に従って生きる。自然を大切に
暇な貴族に広まる。現代でいえばスローライフ - 法家 儒教が重んじる徳ではなく、法律で国民をコントロールしよう
法律を破ったものは、厳罰に処す(厳罰主義)
戦国時代の秦で採用。 → 焚書坑儒(儒教弾圧)につながる。
官僚に広まる。 - 墨家 平和が大切 ← 隣人を愛せ(By イエス・キリスト)
その他の諸子百家