清王朝は、広州の麻薬問題に対して、39年林則徐を派遣した。林則徐はイギリス商人の麻薬(アヘン)を没収した。
1830年代になっても、アヘンの輸入が止まらず銀が流出し続けていた。39年、清王朝は林則徐を広州に派遣した。翌39年、林則徐はイギリス商人からアヘンを没収、処分を行い、アヘンを持ち込まないと誓約しない商人の入それまで入港を拒否した。
当時のイギリスの状況は、ホイッグ党(のちの自由党)が第一次選挙法改正をおこない、産業革命で富を得た商工業者の政治進出を進めた。商工業者の政治進出は、地主(農家)のための保護貿易政策から資本家向け(工場主など)の自由貿易政策へ移行した。その一環として、34年、東インド会社だけに認められたいた対清王朝との貿易を自由化した。そのため、アヘンの流入と銀流出に拍車がかかるとともに、清王朝への貿易自由化要求も高まった。そのため、イギリス政府は、外交官を次々清王朝へ派遣した。
ちなみに、当時のイギリスは、ナポレオン戦争後の平和と産業革命による好景気に沸いていた。このころ男子普通選挙を求める運動も活発化し、労働法など都市労働者向けの法律も次々制定された。
そのころ日本は