10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

15世紀のオスマン帝国 ビザンツ帝国を滅ぼす。

 15世紀初頭のオスマン帝国は滅亡寸前の状態であった。その理由は中央アジアのティムールからの侵攻である。しかし、ティムールが亡くなるとティムール朝は急速に衰退した。

 そして、オスマン帝国は中断していたビザンツ帝国への侵攻を再開した。これによりビザンツ帝国ローマ帝国)1400年の歴史に幕を閉じた。

 オスマン帝国バルカン半島を統一すると黒海(ロシア方面)やヴェネツィア(イタリア)への侵攻を繰り返した。

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15世紀のオスマン帝国 ビザンツ帝国を滅ぼす – 10年100年単位でみる世界史

1940年代前半のアメリカ 第二次世界大戦とF=ローズヴェルト大統領

  第二次世界大戦は、1939年から45年にかけて行われた。世界を巻き込んだ戦いである。当時の大統領は、民主党のF=ローズヴェルト大統領である。F=ローズヴェルト大統領は異例の3期目に入っ

 アメリカは、第二次世界大戦において中立を保っていた。アメリカの関心ごとは、ヨーロッパではなく中国市場であった。中国は、国民党と共産党、さらに北方の軍閥などの戦乱の下にあった。日米にとって中国大陸はバルカン半島であった。

 41年、ヨーロッパで独ソ戦が始まった。そのころ、日米は中国市場をめぐり長期にわたる日米交渉を続けた。しかし、これは決裂。同41年12月、日本は英米に宣戦布告をした。これにより、日米は第二次世界大戦に参加することになった。

 第二次世界大戦は、当初英米が劣勢であった。しかし、ミッドウェー海戦を皮切りに攻守が逆転した。

 英米の連合軍が優勢になると米英ソで戦後構想が話し合われた。これによって誕生したのが国際連合である。また、この会談で米英とソ連は対立するようになった。それが40年代後半から始まる冷戦につながる。

 F=ローズヴェルト大統領は、終戦直前の45年4月病死しした。後を継いだのが副大統領のトルーマン大統領であった。

 

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1940年代前半のアメリカ 第二次世界大戦を戦うローズベルト大統領 – 10年100年単位でみる世界史

16世紀前半のオスマン帝国 スレイマン1世の全盛期

 16世紀前半、日本は戦国時代。オスマン帝国はスレイマン1世の全盛期に当たる。イランからバグダードイラク)を併合。ヨーロッパ方面ではウィーン包囲を実現した。

 外交面では、フランスと同盟関係を結び、フランス商人を優遇した。

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16世紀前半のオスマン帝国 スレイマン1世とヨーロッパ – 10年100年単位でみる世界史

1940年代のアメリカ 冷戦の始まりトルーマン大統領

 1945年、第2次世界大戦の終盤に、アメリカのF=ローズヴェルト大統領が亡くなった。これを引き継いだのが民主党トルーマン大統領である。

 45年8月、日本の降伏によって第二次世界大戦終結した。その2か月後、国際連合が設立。長きにわたる平和が始まるものと思われた。

 しかし、東欧を中心にソ連が支援する共産党独裁政権が次々誕生した。トルーマンはこれに対抗してトルーマン=ドクトリンやマーシャルプランを提示した。

 48年、東西対立はさらに深刻化した。それは、冷戦第1Rのベルリン封鎖である。ソ連は西ベルリンを封鎖。アメリカはベルリン空輸作戦でこれに対抗した。この時に成立した軍事同盟がNATOである。

 49年、ベルリン封鎖が終わり、東西ドイツが成立した。この後、アメリカを震撼させる2つの事件が起きた。ソ連の核実験の成功と中華人民共和国の成立である。そして、50年、冷戦の舞台は東アジアに代わった。朝鮮戦争である。

 

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1940年代後半のアメリカ トルーマン大統領と冷戦 – 10年100年単位でみる世界史

16世紀後半のオスマン帝国 スペイン無敵艦隊に敗れる

 16世紀後半、日本では戦国時代。織田信長豊臣秀吉が解約した時代である。

 このころのトルコ・ギリシャオスマン帝国の時代である。16世紀半ばにスレイマン1世の全盛期を迎えている。16世紀後半になるとオスマン帝国の陰りが見え始める。その象徴は、レヴァントの海戦である。オスマン帝国はこの時期、スペイン無敵艦隊に敗れる。また、16世紀末にはイランのサファヴィー朝アッバース1世の全盛期をむかえる。

 

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16世紀後半のトルコ・ギリシャ オスマン帝国、スペイン無敵艦隊に敗北 – 10年100年単位でみる世界史

1950年代のアメリカ 朝鮮戦争とアイゼンハワー大統領

 50年代、日本は独立を回復。朝鮮戦争を機に高度成長期が始まろうとしていた。

 50年代初頭のアメリカは、危機に陥っていた。40年代の終わりごろ、ソ連が核実験に成功。さらに中華人民共和国が成立した。強気の東側陣営は、冷戦第2Rを仕掛けてきた。朝鮮戦争である。

 50年代半ば、ソ連スターリン書記長が亡くなると朝鮮戦争は休戦した。米ソ冷戦は沈静化の方向に向かっていた。しかし、ソ連人工衛星の打ち上げに成功すると、再び冷戦が激化した。おなじころ、中米で社会主義化の動きも活発化した。60年米ソ冷戦最大の危機を迎える。キューバ危機である。

 この50年代を指揮したのは、共和党アイゼンハワー大統領である。このころ、反ソ運動が活発化した。いわゆる赤狩りである。また、黒人世別問題も表面化したのもこのころである。

 ただ、経済面では好景気をむかえ、50年代の繁栄と呼ばれた。

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1950年代のアメリカ アイゼンハワー大統領と朝鮮戦争 – 10年100年単位でみる世界史

17世紀前半のオスマン帝国 アッバース1世の侵攻を受ける

 

 17世紀前半、日本では江戸幕府の創成期である。徳川家康江戸幕府を開き、大坂夏の陣で戦国時代を終わらせた時代である。

 このころ、バルカン半島小アジアを統治していたのはオスマン帝国であった。16世紀末、オスマン帝国に脅威が東に誕生した。サファヴィー朝イランのアッバース1世である。アッバース1世は、エリザベス女王の黄金期のイギリスによって近代化していた。オスマン帝国は、多くの領土を奪われた。しかし、アッバース1世が亡くなるとオスマン帝国は奪られた土地を奪還していった。

 一方、ヨーロッパでは、ドイツ三十年戦争の真っただ中にある。オスマン帝国は混乱するヨーロッパへ侵攻した。ヴェネツィア遠征である。

 

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17世紀前半のトルコ・ギリシャ アッバース1世の侵攻を受ける – 10年100年単位でみる世界史