10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1960年代のアメリカ キューバ危機とケネディ大統領

 1960年代、日本では高度成長期に入り、東京オリンピックが開催された。

 60年代は、キューバ危機で始まった。核戦争寸前までいったキューバ危機は平和裏に終結した。これにより米ソ関係は再び改善した。

 しかし、アメリカは徐々に衰退傾向になった。ベトナム戦争はそれに拍車をかけた。一方で、公民権法を制定。黒人差別問題はさらに解決した。政治面では、民主党政権が続いた。若きケネディ大統領の時代である。

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1960年代のアメリカ ケネディ大統領とキューバ危機 – 10年100年単位でみる世界史

ポータルサイトのブログで1880年の歴史をやっています。

 こんばんは、sekaishiotakuです。 明日から1880年代の世界史をアップします。よければポータルサイトの方から飛んでみてください。

 5月3日の憲法記念日に合わせて、明治憲法が制定された1880年代の世界の歴史を見ていきます。お楽しみに

https://sekaishiotaku.com/nendaibetsu/1880

17世紀後半のオスマン帝国 第二回ウィーン包囲を見たモーツァルト

 17世紀後半のトルコ・ギリシャオスマン帝国が支配していた。

 オスマン帝国は、北方に大きな敵が誕生した。ロシア帝国である。ロシア帝国ピョートル大帝が皇帝になると黒海の北にあるアゾフ海へ進出した。

 一方、バルカン半島では三十年戦争で弱体化したオーストリアがあった。オスマン帝国は弱体化したオーストリアで第2回ウィーン包囲を実施。またしても、ウィーンを落とすことができなかった。しかし、この時トルコの文化がヨーロッパに伝わった。

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17世紀後半のトルコ・ギリシャ オスマン帝国とモーツァルト – 10年100年単位でみる世界史

1970年代のアメリカ ニクソンショック

 1970年代にはいると、アメリカは不況のど真ん中にあった。そのような中で誕生したのが誕生したのがニクソン共和党大統領であった。ニクソン大統領は泥沼化するベトナム戦争を解決するため、訪中した。さらに、ブレトンウッズ体制から離脱した。

 しかし、弱ったアメリカはさらに痛めつけられた。第四次中東戦争イラン革命である。この2つの事件は2回のオイルショックを引き起こした。

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1970年代のアメリカ ニクソンショック – 10年100年単位でみる世界史

18世紀前半のオスマン帝国 チューリップ時代のオスマン帝国

 18世紀前半のオスマン帝国(トルコ・ギリシャ)はチューリップ時代という文化が花開いた時代に入る。当時同盟国のフランスは太陽王ルイ14世の絶頂期でフランス文化がトルコの宮廷に大きな影響を与えた。

 一方で、北(ロシア)と東(イラン)に2人の強敵が現れた。ロシアでは、北方戦争にしたピョートル大帝が誕生した。イランでは、アフガンからナディルシャーが侵攻してきた。これにより、オスマン帝国の領土は縮小した。しかし貿易のかなめであるエジプトを押さえており、カピチュレーションを結んだイギリスやフランスとの関係も良好でアあったため、大国を維持することができた。

1980年代のアメリカ 強いアメリカを提唱するレーガン大統領

 1980年代前半、アメリカは大きな問題を抱えていた。経済面では70年代不況下にあり、外交面では新冷戦が始まっていた。

 これを打開するために誕生したのが共和党レーガン大統領である。レーガン大統領は強硬外交を進め、80年代の後半の冷戦終結に結び付いた。

 経済面では、新古典派経済学を尊重。減税とドル安誘導(プラザ合意)で景気を回復させた。

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1980年代前半のアメリカ レーガン大統領と強いアメリカ – 10年100年単位でみる世界史

18世紀後半のオスマン帝国 ロシアとクリミア半島を奪われる。

 18世紀後半、日本は江戸時代後期。松平定信寛政の改革のころである。

 オスマン帝国黒海の北部クリミア半島周辺をめぐり、ロシア帝国との戦争を繰り返していた。この戦争は突如として終わった。フランス革命である。

 

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18世紀後半のトルコ・ギリシャ ロシアとクリミア半島を奪われる – 10年100年単位でみる世界史