17世紀~1868年までが江戸時代である。17世紀は、初代徳川家康~5代徳川綱吉の時代である。
豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、江戸幕府を開いた。
江戸幕府は、地方は統治を大名にまかせ、税金も大名に納付させる事実上独立国のような状況となっていた。江戸幕府は、江戸のほか、長崎や堺などの大都市や佐渡などの鉱山などを直轄領からの税収によって成り立っていた。
徳川家康の時代は、朱印船貿易で東南アジア各国と盛んに交易をおこなった。このころスペインと独立戦争を行っているオランダとそれを支援するイギリスが日本を訪れており、家康はこれを味方につけた。このころ、九州南端の薩摩藩(島津家)が琉球を征服。琉球は、薩摩と交易をしながら明王朝に朝貢を続けた。姫路城が完成したのもこの時代である。しかし、当時の江戸は今の東京と違って、片田舎の湿地帯であった。そのため、全国の大名に命令して、江戸城の建設や、江戸の治水工事をやらせ江戸の基盤を作った。
3代将軍徳川家光の時代に、九州でキリスト教徒の農民や失業した武士が反乱を起こす。(島原の乱)。これを鎮圧すると、ポルトガルの来航を禁止した。(鎖国)。当時アナボイア事件でイギリスは東アジア交易から撤退し、東アジアとヨーロッパの交易はオランダが独占するようになる。また、家光の時代に大名行列のルールを整備した。その影響で多くの地方武士が東京に住むようになり、現在の東京の基盤となった。
17世紀のヨーロッパは、16世紀の大航海時代による好景気が終わり、寒冷化による不作が続いていた。また、ドイツ三十年戦争などの戦乱が各地で起こっていた。その影響で魔女狩りが行われていた。一方、アジアはトルコのオスマン帝国、インドのムガル帝国の全盛期である。17世紀の後半から衰退期に入る。中国では、明王朝が衰退し、かわりに女真族の清王朝が成立した。
3代将軍家光がなくなるころになると、戦国時代のような刀で決める政治(武断政治)から、法で治める政治(文治政治)への移行が政治テーマになる。
17世紀末、犬を大事にしたことで有名な第5代徳川綱吉が将軍になる。
このころになると、アジアの大国、トルコのオスマン帝国やインドのムガル帝国が衰退期に向かう。一方で、17世紀に成立した清王朝は、康熙帝が即位し、黄金期に入る。一方で、中国の北にはロシア帝国が進出していた。