10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

世界史を初めて学ぶ方のために、地域ごとに18世紀までは100年単位、19世紀以降は10年単位でまとめたブログです。わたしも世界史を勉強し始めたばかりなので一緒に勉強できればと思います。HPを開設しました。https://sekaishiotaku.com/

1970年代のアメリカ ニクソンショック

 1970年代にはいると、アメリカは不況のど真ん中にあった。そのような中で誕生したのが誕生したのがニクソン共和党大統領であった。ニクソン大統領は泥沼化するベトナム戦争を解決するため、訪中した。さらに、ブレトンウッズ体制から離脱した。

 しかし、弱ったアメリカはさらに痛めつけられた。第四次中東戦争イラン革命である。この2つの事件は2回のオイルショックを引き起こした。

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1970年代のアメリカ ニクソンショック – 10年100年単位でみる世界史

18世紀前半のオスマン帝国 チューリップ時代のオスマン帝国

 18世紀前半のオスマン帝国(トルコ・ギリシャ)はチューリップ時代という文化が花開いた時代に入る。当時同盟国のフランスは太陽王ルイ14世の絶頂期でフランス文化がトルコの宮廷に大きな影響を与えた。

 一方で、北(ロシア)と東(イラン)に2人の強敵が現れた。ロシアでは、北方戦争にしたピョートル大帝が誕生した。イランでは、アフガンからナディルシャーが侵攻してきた。これにより、オスマン帝国の領土は縮小した。しかし貿易のかなめであるエジプトを押さえており、カピチュレーションを結んだイギリスやフランスとの関係も良好でアあったため、大国を維持することができた。

1980年代のアメリカ 強いアメリカを提唱するレーガン大統領

 1980年代前半、アメリカは大きな問題を抱えていた。経済面では70年代不況下にあり、外交面では新冷戦が始まっていた。

 これを打開するために誕生したのが共和党レーガン大統領である。レーガン大統領は強硬外交を進め、80年代の後半の冷戦終結に結び付いた。

 経済面では、新古典派経済学を尊重。減税とドル安誘導(プラザ合意)で景気を回復させた。

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1980年代前半のアメリカ レーガン大統領と強いアメリカ – 10年100年単位でみる世界史

18世紀後半のオスマン帝国 ロシアとクリミア半島を奪われる。

 18世紀後半、日本は江戸時代後期。松平定信寛政の改革のころである。

 オスマン帝国黒海の北部クリミア半島周辺をめぐり、ロシア帝国との戦争を繰り返していた。この戦争は突如として終わった。フランス革命である。

 

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18世紀後半のトルコ・ギリシャ ロシアとクリミア半島を奪われる – 10年100年単位でみる世界史

1980年代後半のアメリカ 冷戦の終結とブッシュ大統領

 おはようございます。sekaishiotakuです。今週からはてなブログでは要約だけをかいて、メインの記事はリンク先の別のブログに書いていく感じで進めていきます。

 

 80年代後半の最大の出来事は、冷戦の終結である。80年代に始まった「新冷戦」はレーガン大統領の強気な外交とレーガノミクスという経済政策の成功でアメリカの勝利で終結した。

 当然、政治面でも共産党政権が続いた。81年に就任したレーガン大統領は、上限の2期8年を満了。88年の大統領選挙も共和党が勝利。89年、ブッシュ(父)大統領が引き継いだ。ブッシュ(父)大統領がマルタ会談で冷戦終結を発表した。

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1980年代後半のアメリカ ブッシュ大統領と冷戦終結 – 10年100年単位でみる世界史

 

1800年代のオスマン帝国 ナポレオンとムハンマド=アリー

 1800年代、日本は江戸時代後期。250年にわたる泰平な世を満喫していた。このころ、ヨーロッパではナポレオンがヨーロッパ各地へ遠征をしていた。その中にはオスマン帝国(エジプト)も含まれていた。

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1990年代のアメリカ 民主党クリントン大統領とIT革命

1990年代、日本はバブル経済が崩壊。失われた10年の時代に入る。
このころ、アメリカでは冷戦が終結アメリカの1人勝ちの状況となった。そのような中、IT革命がおきた。その象徴がWindows95である。これによりITバブルが発生した。

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