10年単位100年単位でみる世界史まとめブログ

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センター試験の過去問を解いてみた。2019年本試験 4A

 

 問1

下線部①(古代ギリシャ)について述べた文として正しいものを選べ

ペロポネソス戦争で、スパルタはペルシアの支援を受けた。

〇 → ペロポネソス戦争は、紀元前5世紀後半の戦争。ペルシア戦争の報復戦争であるため、ペルシアは、アテネの敵、スパルタを支援した。

② カイロネイアの戦いで、アテネ・テーベ連合軍は、マケドニアに勝利した。

× → カイロネイアの戦いで、マケドニアは、アテネ・テーベ連合軍に勝利した。

カイロネイア戦争は、紀元前4世紀後半の戦争。この戦争によって、マケドニア古代ギリシャを統一。アレクサンドロス大王の東方遠征につながる。

テミストクレスが、アクティウムの海戦でペルシア軍に勝利した。

× → テミストクレスは、サラミスの海戦ペルシャ軍に勝利した。

テミストクレスは、ペルシャ戦争時の海軍の将軍。ペルシャ戦争の戦いの1つ、サラミスの戦いでペルシアに勝利した。アクティウム海戦は、紀元前1世紀にローマ帝国プトレマイオス朝エジプトを破った戦いである。

④ スパルタを盟主にして、デロス同盟が結成された。

× → アテネを盟主にして、デロス同盟が結成された。

スパルタが結成したのは、ペロポネソス戦争の語源になったペロポネソス同盟である。

問2

下線部②(宗教と世俗)に関して、次の年表に示したa~dの時期のうち、「ピピンの寄進」が行われた時期を選べ

a

568年 ランゴバルド王国建国

b

711年 西ゴード王国滅亡

c

804年 アルクイン、没

d

 

回答 c

ピピンは、ランゴバルド王国の領土を教皇に寄進しているので、aは×

ピピンの父、カール=マルテルが西ゴート王国を滅ぼしたイスラム勢力のウマイヤ朝にトゥール・ポワティエ間の戦い(732年)に勝利して名を挙げたので、bは×

ピピンの子、カール大帝は、キリスト生誕800年を記念して戴冠を受けた。そのため、ピピンの寄進は、それより前なのでcは〇、dが×

ちなみに、アルクインは、カール大帝が招いた学者である。

この問題は、年号問題といいながら、カール=マルテル、ピピンカール大帝の3人の業績をしっかり覚えていれば解ける問題である。

問3

下線部③()に関して、社会や政治への風刺・批判について述べた文として正しいものを選べ

①  ラブレーは、『愚神礼讃』(『愚神礼賛』)で教会を風刺した。

× → エラスムスは、『愚神礼讃』(『愚神礼賛』)で教会を風刺した。

エラスムスは、16世紀のオランダの人文主義者、オランダ=ルネサンス期のひとになる。ラブレーは、tents]

 

 問1

下線部①(古代ギリシャ)について述べた文として正しいものを選べ

 

ペロポネソス戦争で、スパルタはペルシアの支援を受けた。

 

〇 → ペロポネソス戦争は、紀元前5世紀後半の戦争。ペルシア戦争の報復戦争であるため、ペルシアは、アテネの敵、スパルタを支援した。

 

② カイロネイアの戦いで、アテネ・テーベ連合軍は、マケドニアに勝利した。

 

× → カイロネイアの戦いで、マケドニアは、アテネ・テーベ連合軍に勝利した。

 

カイロネイア戦争は、紀元前4世紀後半の戦争。この戦争によって、マケドニア古代ギリシャを統一。アレクサンドロス大王の東方遠征につながる。

 

テミストクレスが、アクティウムの海戦でペルシア軍に勝利した。

 

× → テミストクレスは、サラミスの海戦ペルシャ軍に勝利した。

 

テミストクレスは、ペルシャ戦争時の海軍の将軍。ペルシャ戦争の戦いの1つ、サラミスの戦いでペルシアに勝利した。アクティウム海戦は、紀元前1世紀にローマ帝国プトレマイオス朝エジプトを破った戦いである。

 

④ スパルタを盟主にして、デロス同盟が結成された。

 

× → アテネを盟主にして、デロス同盟が結成された。

 

スパルタが結成したのは、ペロポネソス戦争の語源になったペロポネソス同盟である。

 

問2

下線部②(宗教と世俗)に関して、次の年表に示したa~dの時期のうち、「ピピンの寄進」が行われた時期を選べ

 

a

 

568年 ランゴバルド王国建国

 

 

b

 

 

711年 西ゴード王国滅亡

 

 

c

 

 

804年 アルクイン、没

 

 

d

 

 

 

回答 c

 

ピピンは、ランゴバルド王国の領土を教皇に寄進しているので、aは×

 

ピピンの父、カール=マルテルが西ゴート王国を滅ぼしたイスラム勢力のウマイヤ朝にトゥール・ポワティエ間の戦い(732年)に勝利して名を挙げたので、bは×

 

ピピンの子、カール大帝は、キリスト生誕800年を記念して戴冠を受けた。そのため、ピピンの寄進は、それより前なのでcは〇、dが×

 

ちなみに、アルクインは、カール大帝が招いた学者である。

 

この問題は、年号問題といいながら、カール=マルテル、ピピンカール大帝の3人の業績をしっかり覚えていれば解ける問題である。

 

問3

下線部③()に関して、社会や政治への風刺・批判について述べた文として正しいものを選べ

 

ラブレーは、『愚神礼讃』(『愚神礼賛』)で教会を風刺した。

× → エラスムスは、『愚神礼讃』(『愚神礼賛』)で教会を風刺した。

エラスムスは、16世紀のオランダの人文主義者。オランダ=ルネサンス期のひとになる。ラブレーは、16世紀のフランスの文学者。同じルネサンス期の文学者。代表作は『ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語』

② イギリス領北アメリカの植民地の人々は、「代表なくして課税なし」を主張して、全権委任法を撤回させた。

× →イギリス領北アメリカの植民地の人々は、「代表なくして課税なし」を主張して、印紙税を撤回させた。

全権委任法は、1930年代、ドイツのヒトラー首相が成立した法律。立法権を国会から首相に移したもの。ヒトラーが総統になる根拠となる法律。

ウィーン会議は、「会議は踊る、されど進まず」と風刺された。

④ ヘシオドスが、政治を風刺する喜劇を作った。

× → チャップリンが、政治を風刺する喜劇を作った。

ヘシオドスは、ギリシアの詩人。代表作は『労働と日々』