2月から、トルコとギリシアの歴史を見ていきます。
なぜ、トルコの歴史を取り扱うのか
アジア編は、これまで中国、イラン(ペルシア)、インドを扱ってきました。これらの国は17世紀大帝国を築いたの国です。中国の清王朝、イランのサファヴィー朝、インドのムガル帝国。そして、最後にとり扱うのがトルコのオスマン帝国である。17世紀の四大帝国をコンプリートすることになります。
ギリシャとトルコ
ギリシャとトルコは、歴史的には同じ国であった時代がほとんどです。ギリシャとトルコが分裂したのは、19世紀前半のギリシャ独立戦争の時である。それまではギリシャなどのバルカン半島はオスマン帝国の支配下にあった。オスマン帝国成立前は、ビザンツ帝国で同じ国であった。
この地域は、アジア系民族(トルコやアラブ人)とヨーロッパ系民族が争い続けた地域であった。そのため、トルコはヨーロッパ的な側面とアジア的な側面を持っていた。
トルコとギリシャの歴史をざっくり分類
トルコとギリシャの歴史は4つの段階に分けてみていきます。
1920年代~ トルコ共和国(現代史編)
1910年代、第一次世界大戦の敗戦でオスマン帝国はスルタン制を廃止、共和国へ移行した。中東の大国としてトルコ共和国がどのようにふるまってきたのかを見ていきます。
16世紀~1910年代 オスマン帝国(近世、近代編)
オスマン帝国は、17世紀のアジア4大帝国の一つである。サファヴィー朝と中東を2分し、それ以外にもバルカン半島(東欧南部)やエジプトなどを支配下に置いた。全盛期には神聖ローマ帝国(ドイツ・オーストリア)とも戦争をした東欧の強国の顔もあった。
5世紀~ 15世紀 ビザンツ帝国(中世編)
オスマン帝国の前、トルコに存在した国はキリスト教国のビザンツ帝国であった。ビザンツ帝国とイスラム勢力の争いの歴史を見ていきます。
~ 4世紀 ローマ帝国以前(古代編)
ビザンツ帝国の成立前も、トルコはアジア勢力(オリエント)とヨーロッパ勢力(ローマ、ギリシャ)が交互に支配していた。
2月からお楽しみに