1970年代、日本は高度成長期が終わり、低成長期に入った。このころ、学生運動が活発化していた。
そのころ、インドは第3次印パ戦争を行った。国際的には孤立化し、その打開策として核保有国となった。
内政では、「貧困の追放」を掲げたインディラ=ガンディ政権であった。しかし、徐々に国民の支持を失い政権交代が行われた。
第三次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)
71年03月、東パキスタン(のちのバングラディシュ)で独立を宣言。
この地域は、同じイスラム教を信仰していたが、人種がパキスタン人ではなくベンガル人であり、言語も異なり、国土も分裂していた。
パキスタン政府は、これに対し軍事弾圧を開始した。
インド政府(インディラ=ガンディ)は、東パキスタンを軍事支援。第三次印パ戦争に発展した。
アメリカはパキスタンを支援。中国もパキスタンを支持した。当時、中国は中ソ対立の影響で西側諸国との関係を強化していた。
そのため、インディラ=ガンディはソ連に急接近。71年08月印ソ平和友好条約を締結。
71年12月、インドの勝利により、バングラディシュは独立を達成した。ちなみに、バングラデシュは75年に軍事クーデターにより軍事独裁政権に移行する。
米中の脅威から逃れるため核保有国へ
60年代、国境紛争で、中国と対立。印パ対立でアメリカからの経済制裁を受けるようになった。70年代になると、中ソ対立によって米中の関係が急速に改善。72年02月にはニクソン訪中が実現した。
これにより、インドは国際的に孤立した。インディラ=ガンディは、第三次印パ戦争の最中、ソ連のブレジネフ書記長と印ソ平和友好条約を締結。74年05月には核実験に成功した。
国民会議派の長期政権の行き詰まり(インディラ=ガンディ)
インドは、国民会議派の長期政権が続いていた。
経済面では、共産主義に近い計画経済を進めていた。71年の総選挙では、「貧困の追放」を掲げて勝利した。
開発独裁の行き詰まり
60年代、アジア諸国では、政治運動や社会運動を抑圧しながら工業化を強行していく、開発独裁を進めていた。
この政策により、経済は成長し、国民の生活レベルは向上。そのため、アジア諸国の国民は、独裁者を支持していたため、特に大きな問題は生じなかった。
日本の高度成長期と自民党の一党独裁もこの一例といえる。
インドで、この自民党的立場にあったのが、国民会議派であった。
70年代に入ると、世界的な低成長期に入る。アメリカがベトナム戦争の泥沼化でニクソンショックを起こす。また、73年のオイルショック(第4次中東戦争)がそれに追い打ちをかけた。
その結果、多国籍業はコスト削減のため、アジア諸国に工場を移した。そのため、韓国など開発独裁を進める国々は、経済成長を続けた。これらの国々は、NIES(新興工業経済地域)と呼ばれた。
しかし、インドは、工場移転による経済成長の恩恵を受けることができなかった。その理由は2つある。1つ目は、アメリカと政治的に対立していたこと。2つ目は、先進諸国と距離が離れていたことである。
このため、インドでは、経済成長よりも長期政権による政治腐敗の面がクローズアップした。このため、国民会議派は大きく支持を失っていた。
77年ジャナタ党政権
75年、71年総選挙での国民会議派の選挙違反で有罪判決
これに対し、インディラ=ガンディは、反対勢力を一斉逮捕
77年の選挙で国民会議派が大敗。ジャナタ党への政権交代が行われた。
ジャナタ党はインディラ=ガンディを逮捕
しかし、ジャナタ党は反インディラ=ガンディ以外政策的共通点がないため意見対立が生じ、2年で崩壊。
80年総選挙では、ジャイナ党の混乱とインディラ=ガンディ逮捕に対する同情票で、国民会議派は政権を奪還する。
その他の南アジアの出来事
72年、スリランカが憲法を制定。共和国して完全にイギリスから独立した。
このころ日本は
インドの敵中国は
インドを支援するソ連は